夢を叶える?ということ

22 July, 2009

とりあえず夏の予定も一段落つき、落ち着いて日常の仕事に取り組む段になった。秋にはすぐまた大会などが続くのだが、とりあえず自分の稽古は夏休みに突入。本当は夏休みは2週間余りなのだが、私は例年、8月の旧盆の時期が過ぎるまで休みを取っている。
8月の旧盆の頃って、夏の疲れも出るし、終戦記念日などもあるせいか空気が何となく殺気立っているので、あまり斬ったはったの稽古はしたくないのだ。

旧盆の頃の雰囲気って、子供の頃は必ず父や母の実家に行き、いかにも田舎のお盆、という行事で送るのが習慣だったせいか、どうしてもあんまり激しいことをする気になれない。
田舎のお盆、というのはもちろん、大々的に仏壇にお盆の飾り付けをして、お坊さんが来てお経を上げてもらい、灯篭流しやらホオヅキで遊ぶことだ。
昨今は灯篭を流せる川なんて無くなって久しいが、お盆の中日は地獄の釜も休みなんだよ、なんて聞かされて育つと、何となくその感覚が抜け切れない。
夏から秋は例年、試合や審査が続くので、勝ったり負けたり受かったり落ちたり、ついいろんなことを考えてしまうのだが、最近私の好きな野球映画を見ていて、しばらく前に話題になったある記事のことを、ふと思い出してしまった。

ご存知ない方の為に紹介しておくと、2008年の2月に『日経ビジネス アソシエ』に掲載された、脚本家・山田太一氏のインタビューのことだ。

「頑張れば夢はかなう」は幻想
引用させていただくと、要点はこうだ。

「『あきらめるな』とよく言います。だから誰でもあきらめさえしなければ夢がかなうような気がしてきますが、そんなことはあまりない。頑張れば何でもできると思うのは幻想だと僕は思う。成功した人にインタビューするからそうなるのであって、失敗者には誰もインタビューしないじゃないですか。
人間は、生れ落ちた時からものすごく不平等なんです。国籍や容姿も選べないし、限界だらけで僕らは生きている。そんなにうまくいかないのが普通なんです。その普通がいいんだと思わなければ、挫折感ばかり抱えて心を病んでしまう。
僕は一握りの成功者が『頑張れば夢はかなう』と言うのは傲慢だと思っています。多くの人が前向きに生きるには、可能性のよき断念こそ必要ではないでしょうか」


ということで、ネットでもさまざまの反響を呼んだ記事だ。
私は最初、山田氏の言うことはしごくもっともだと思いながら、何となくネットの議論と噛みあっていない気がして、違和感を抱えたままだった。しかし、身近で試合を見たり、スポーツサクセスストーリーを見たりしていたら、またぞろこの記事のことを思い出してしまった。

そもそも、この記事が載ったのは『日経ビジネス アソシエ』でタイトルも「あれもこれもやろうとしているビジネスパーソンにむけたメッセージ」ということだ。

確かに「頑張れば必ず夢はかなうは幻想」と言うのは正しいと思うのだが、この山田氏の言を受けて以下の記事などは、(何かが違う…)という気がして仕方がない。

仕事情報誌『アントレ』(リクルート)の元編集長で人材コンサルティング・セレブレインの高城幸司社長は、山田さんの主張について「よく分かります」とした上で次のように話す。

「私は、『あれもこれも』という若者について否定はしませんが、生き急がないで人生を楽しんで欲しいと思いますね。頑張ることは大事ですが、死ぬ気で頑張っても、その後も人生は続きます。だから、頑張ってる自分に満足してはいけないと思います」
高城社長によれば、20代の経営者の中には夢のために頑張りすぎて、突然「ガス欠」してしまう、いわゆる「燃え尽き症候群」になってしまう人もいるという。経営者やビジネスマンとしてうまくやっていくには、失敗しても「また次があるさ」と切り替える能力が必要という。


まあ、この意見も全く正しいのだが、なんで、あれもこれもやろうとしているビジネスパーソンの話に、「夢」なんて大仰な話が絡んでくるのか?と、私は少し疑問に思ってしまった。

そもそも、「夢」って何なのだろうか?
私は夢ってもともと食えないものだと思っているし、実現した途端に夢と実態とのギャップに気づくものだろうし、それでもまだ追い続けているから夢なのだと思うのだが。

確かに、一握りのスポーツ選手や芸能人が、なんでもかんでも「絶対にオリンピックで金メダルを取るんだ!大舞台に立つんだ!みんなも夢を捨てないで!」とか、やたらに吹聴するのは良くないと思う。

しかし、この掲載誌は”たかが”「ビジネスパーソンに向けて」だし、何で経営や仕事の頑張りの話が出てきているのかと、ちょっと不思議な感じがしてしまった。
仕事、生業(なりわい)はきちんと誠意を持って一定レベルの質を持続するのが第一だと思うし、仕事面であれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、なんてのが、夢を追う話にすり変わっているのがどうも気持ちの中でナットクいかないのだ。
私に言わせれば、それは夢を追っているんじゃなくて、単なる欲張りだったり、自分で課したノルマに追っかけられているだけではないのだろうか?

もちろん、良質な商品を世に送り出したり、それを手にした人が夢を持てるような仕事を成し遂げるのも、大きな夢には違いない。それはそれで価値のある夢だと思うのだが、この山田氏の記事と周辺の反響は、どっかでボタンの掛け違えが起こっているような気がして仕方がない。

どんな夢を持とうが個人の自由だとしか言えないが、単純な話、試合(仕事面も含めて)で勝って躍り上がって喜んでも、それは瞬間的なものだし、いったん勝者になると、次からそれはノルマになり、夢変じて重〜い荷物となってしまうことも多い。
山が高ければ高いほど、次はまっ逆様の谷底…というのが陰陽学のセオリーだが、そういう皮肉めいた見方はさておき、何も「夢の実現」とか「頑張って燃え尽き症候群」とか、そんなに肩肘張らなくても、今現在の瞬間を楽しめばいいのではないだろうか。

となると、私としてはまた、師匠から聞いた話を思い出してしまう。
「何の為に修行するのか?」
「何の為に稽古するのか?」

それは修行や稽古をして何かを得る為ではないのです。。。
その回答は、もう何度かどこかに書いたし、この日記の上のほうにも書いてある。はっきり言って貰わないと分からない、という方は、分かるまで楽しくコツコツと修行されることをお勧めします。一生かかってもかまわないので(笑)。

とりあえず、楽しいスポーツ映画を二本、ご紹介します。
デニス・クエイド主演「オールド・ルーキー」
キアヌ・リーブス主演「リプレイスメント」

どちらも、夢って素晴らしいけど儚いなあ…という、甘くてほんのり苦い、正当な(?)夢の映画です。

tao

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