「Xファイル」の現実度

18 April, 2009

このところ単純作業がけっこう多いので、合間にテレビドラマなどを見ながらPCをいじり倒す毎日。「ながら族」(死語?)をやる時は、映画として作ったものよりも、テレビドラマのほうが明らかに向いている。

映画は暗い映画館に一定時間閉じ込めて、ジッと集中して見るように作ってあるけど、テレビドラマは少し目を放して、家事をしたり家族と話したり、途中でキッチンやトイレに立ってもちゃんと筋が理解できるように、わりと作りが緩い。重要なことは全て台詞で説明するというのもセオリーなので、細部の詰めは甘い反面、楽に見ることができる。

私はラジオを聴きながら縫い物をするのに慣れているけれど、テレビドラマならば、見ながら縫い物をすることは十分できる。映画はかなり難しい。縫い物に集中している間に映画が終わっていた、ということも珍しくない。

Xファイルは、近年、劇場版が出たのを機会に、昔見逃してしまったこの番組を、ファーストシーズンから順に見ている。改めて見てみると、よくこれだけの多彩な内容を集めたものだと、いまさらながら感心する。
今回の劇場版を見ても、主演の二人が良い年の取り方をしていて、やはり長尺版を作り続けるには、スタッフもキャストも優秀な人材あってのことだな、と思わされる。

「Xファイル」はご存知の通り、超常現象を扱ったドラマなのだが、見ているうちにふと、これってどの程度、現実に起こり得ることなのだろうか?と、かなり余分なことを考えてしまった。
筆者はわりと、ごく普通にXファイルを楽しんでいるが、別に信じながら見ているわけではなく、フィクションとして楽しんでいるだけだ。けれどフィクションであっても、ある程度はこういうものを楽しめる素地が必要なのではないか、と思った。

例えば筆者の知り合いの男性などは、占いは100%×10ぐらい信じようとしない。どっちの方角に行くとこういう現象があるなんてことも、頭から否定しているし、占いで性格やある程度の運勢が分かる、なんて話にも全く耳を貸さない。
ところがこの人は、UFOの存在は100%信じている。
で、筆者が完全に占いの専門家であることを知りながら、もっと長く深くお付き合いしたい、というお申し出があるのは余計理解に苦しむのだが(笑)
という与太話は置くとしても、どうもこのへん、どういう基準なのか、よく分からないのだ。

各種の超常現象がUFOや地球外生命体と関係がある、という解釈には賛同するが、占いはその超常現象の範疇には入らない、ということなのだろうか…?もちろん、占いのレベルは置いとくとしての話なのだが、案外、占いの内容を知らなすぎるのかもしれない。
占いも基礎からきちんと知ると、完全否定できる人はいないと思うのだが、中高生のやるようなインスタントな占いの範疇で、モノを考えているのかもしれない。だとしたら、ちょっと寂しい話だ。

占いの立場というのも、どこに足場を置くかによって、かなり微妙になってくるのだが、そもそも占いというのは、直感系とデータ系に大きく分類される。しかしこの二者は、全く違う種類のもののように思える反面、二者を併用している占者も多い。筆者もそうだ。そもそも「易」そのものが、霊感系とデータ系のコラボレーションなので、このあたり、結構面白い課題に感じる。

心霊写真めいたものなども、まやかしが多いのだが、筆者は実際に自分で撮影した経験もあるので、多くの話の種になっている心霊写真は信じないものの、完全には否定しきれないでいる現状だ。

Xファイルは200話余りに上るロングシリーズなので、まずは楽しみながら見てみたいが、これら数々のエピソードの中で、現実味のあるもの、ないもの…筆者なりの立場で、後で整理してみると面白いのではないかと思った。

もう一つ、Xファイルのみならず、洋画を見ていてよく感じるのは、ヴードゥー教や先住民の呪いが、全面的に肯定されていることが多い、ということだ。これが、異世界のものを神聖視しがちな傾向の現れだとしたら、東洋占術とか東洋武術なんかも、間違いなく多くの信者(?)を獲得すること間違いないだろうと思う。
実際、道場の門人のうち外国勢などは、その手の手合いが多いのかもしれないが。。。

映画「エクソシスト」や「オーメン」の時代には、キリスト教の神と悪魔がテーマになったオカルトが流行ったが、90年代の「Xファイル」の時代になると、異世界の神秘性のほうに移行してきたのか?これらも面白いテーマだ。

tao

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