13日の金曜日

12 April, 2007

メディアとか本とか、いろいろ必要なものがあったので、アマゾンで注文していたら、「この商品は、お急ぎ便なら13日の金曜日にお届けできます!」という表示が出てきた。

なるほど、明日は13日の金曜日だったのかぁ。
私の周りでは気にする人は居なくて(たぶん)、ちょうど仲間と、明日は稽古に行きますかね?と、メールのやり取りをしていたのだが、世間では気にする人、多いんですかね…

思い出したのを幸い、ちょうど良い機会なので、ここで正式なコメントを出しておこうと思う。

思い出したのを幸い、ちょうど良い機会なので、ここで正式なコメントを出しておこうと思う。

ちょっと検索した限りでは、こんなのが出てきた。

13 (忌み数):wiki

【NationalGeograph】13日の金曜日恐怖症 その歴史と対策

日経BP【「13日の金曜日」に交通事故は増える!?】

13日の金曜日、かなり嫌われてしまったものだ。
数年前に見た記事で、ヨーロッパのどこかで13金恐怖症の人が、当日は仕事も休んで家に閉じこもっていたが、台所に居たところ、窓から飛び込んできたスズメバチに刺されて命を落とした、というニュースがあったのを覚えている。

前、海外在住の人に頼んで、実際に13番地、13階があるかないか調査してもらったのだが、意図的に13を外していたりいなかったり、けっこうまちまちだったような覚えがある。

13日の金曜日が不吉とされる理由は、検索すれば幾らでも出てくるので、ここは筆者の立場でコメントしておこうと思う。

東洋学においては、13は非常に縁起の良い数とされている。数字は語呂あわせが多いのだが、縁起が悪いとされる「4=死」の反対に、「13=重産」は無から有を生み出す力のある、とても縁起の良い大吉数である。
姓名判断では、13画は頭が良くて器用で手八丁口八丁、人気と指導力のある、真っ先に好んでつける数でもある。

数の吉凶には、だいたい宗教的背景があるのだが、奇数が陽で吉数とされるのは、以下のような理由によるそうだ。
例えば二人の人が、食事(例えば木の実とする)を分け合おうとすると、二で割り切れたら、後には何も残らない。三個あり、二人で分けた後に一つ残れば、それは神への供物となり、縁起が良いのだそうな。

常識で考えても、三個のうち二人で一個づつ取って、残りの一つを神への供物として手をつけなければ、それは将来の為の蓄えにもなり、畑に蒔いて殖やす為の種子にもなるので、縁起が良いのも道理だ。偶数を二人で分け合って消費してしまったら、後には何も残らない。

古来、人間は、自分達だけで存在するとは考えず、必ずそこここに神の存在を信じて生活していたものだ。
筆者なども、育った過程で、昔ながらの神道の教育を色濃く受けており、子供の頃から何かにつけて、親に言われたものである。

曰く「ご飯を食べる時には、穀物の神様、台所の神様が必ず傍にいるから、自分の力でご飯食べてるだと思うんじゃなくて、穀物を育ててくれた神様、美味しく料理してくれる神様のことも考えながら食べるんですよ。便所に行ったら、そこには便所の神様がちゃんと居て見ていてくれるから、安心して、でもお行儀よく用を足すんですよ。誰も居ない夜中のドアの外でも、誰も居ないように見える野原でも、ちゃんとそこをお守りしている神様がいらっしゃるのだから、安心して、でもその神様達のことを忘れないように。戸を開ける時でも、誰も居ないと思っていきなりバタン!と開けると失礼だから、何となく咳ばらいして丁寧に静かに開けるとか、気をつけるんですよ」と言われて育ちました…。

まあ、今の子供達にこういうことを言ったら、噴飯ものなんですかね…?それとも逆に、受けちゃう?
いろんなことを学んだ現在では、ここで言う「神様」は魑魅魍魎のタグイで、それじたいに善悪の観念はなく、ただ自然の中にある精霊…映画や小説に出てくる使い魔とか小鬼、色神の類と認識しており、それはそれで認めている。
だいたいの魑魅魍魎は上からの命令系統によって動いているので、当家がしっかりした家ならばしっかりした使い魔が居て、暗闇でも子供を守るだろうし、モラルのない家ならば、使い魔のほうもモラルがなくて、暗いところではいたずらで子供の足を引っ張って転ばせるかもしれない。(このへん、ファンタジーの乗りで読んで下さい。実はけっこう真面目なんですが…)

自分なりに、何となくこういう世界観が気に入っていたせいか、私は親の言うことをよく守る子で、今でもこういう躾はよく覚えている。
そのお陰かどうか、水がこぼれても鍋が吹きこぼれても、家の中では走ることができなくて、いろんなところにアルバイトに行っても、皮肉交じりによく言われてしまったものです。「おっとりしてるのも、たいがいにしてくれ」
別に気にしてませんけどね…。

決して裕福な家庭ではなく、私の中学校入学ぐらいまでは、四畳半に家族五人の暮らしで、その日のお米の心配をする経済状態だったが、母の映画好きと父の読書マニアに付き合い、弟達とも仲が良かったので、けっこう心地よく過ごしていた。
両親ともごく普通の庶民なのだが、こういう、自然崇拝というか、宗教という範疇に入らない部分での信仰心は、何となく明治大正の人達の教養と底力みたいなものの根源であり、貧しても鈍しない為の大きなファクターになっていたのではないか、という気もする。

昔話はこのくらいにして、13という数を恐れるのは、西洋文明の中の、それも間違った歴史を鵜呑みにしてる輩だけなので、一切気にする必要はありません。

金曜日のほうは、日本はもともと二十四節気とか干支暦で、全く関係ない筈だ。干支暦で丑月なら丑月を区切る場合は「上旬・中旬・下旬」という、十日ごとの区切りの筈だ。
一週間という単位は、確か聖書の創世記なんかが発祥ではないですか…?専門ではないので断定的なことは言えないが、創世記に出てくる神が休まれたのが七日目なので、七日目を安息日としたという話があり、このあたり、日曜が休みの日なのか、始まりの日なのか、どうもよく分からない。
聖書を追求する立場ではないので、こんなこと深追いする気はないが、とにかく7日単位の曜日というものは、日本に於いては現在の社会構造上従っているだけなので、「金曜日は悪魔の日」説は研究する気もなし。

というわけで、「13日の金曜日」どこを取っても根拠のない迷信だし、これを気にするのは、厄年を煽る霊感商法にひっかかるにも等しいことです。
いやしくも、東洋学の一端にでもひっかかっている皆さんは、こんな馬鹿馬鹿しいことは、気にしないことです。気にしている人がいたら、きちんとその根拠のなさを説明してあげることにしましょう。
13金を気にしてる人がいたら、笑い飛ばしてあげて下さい。気にするのは、映画のジェイソンキャラぐらいで…(笑)

みんな、「13金シンドローム撲滅運動」を推進しよう!
東洋では、13は大吉数です。金曜日は聖書の世界観を信じていない人には全く関係ありません。明日は丁丑の日であり、その意味は「灯火の元、のんびりとマニアックな芸術に親しむと財をもたらす日」ですよ!
ワタシなんて、忙しさにもかかわらず、明日から半額セールのT○UTA○Aに寄る予定ですよ!(他企業の宣伝になっちまった…)

13金イメージを撲滅しよう!(しつこい?)
だって、アホらしいんだもん。
他人のマイナスイメージを払拭してあげるのは、徳を積んで幸福の種を蒔く、いいチャンスだよ!(笑)

tao

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