明けまして、お目出とうございます

01 January, 2007

早々に、明けましておめでとうございますです。
本年は、私にしては珍しく落ち着いたお正月を迎えております。
サイトのほうも、いちおう風水暦のアップをして、新年には元日早々真面目に、何か修行のコンテンツを書いてみようかと思っております。(すぐにアップできるかどうかは分かりませんが…)

しかし、うちのマンションの年越しは賑やかです。
うちから歩いて○○歩の神社で、除夜の鐘つきとお汁粉、甘酒の振る舞いをしている為、子供の声が賑やか…案内のアナウンスまでしてるので、けっこううるさいです…。
私はつい数時間前に行って新しいお札を受けてきたばかりだし、人の多い時には行きたくないので、そんな賑やかなところには、わざわざ出かけて行きません。

今から数時間前というと、大晦日ですが、こういう時にお札を受けると、普通は一夜飾りだとか何だとかで、縁起が悪いといって嫌いますよね。まあ、そんな知ったようなこと言う人が、普段から神ごとをきちんとして、月に何回かお参りして、神前でお経や祝詞あげたり、家の祭祀を毎日きちんとしていらっしゃるか、教えの内容を噛み砕いて話せるぐらいに理解する努力をしていらっしゃるかは、ちょっと疑問ですが…(ふふ…出だしからなかなか厳しいでしょ(^^ゞ)

だいたい、「飾り」という段階で、とうの昔に祭祀ではなくなってしまってるような気もします。
神社仏閣のお札は飾り物ではなくて、神仏のご守護と私達個人との架け橋みたいなものです。いわば、一家の主で守護のご本体です。普段からの信心が大切で、大袈裟に言えば、いわば人間以上の生命と霊力の源です。お札の祭祀をきちんとせずして、日々の安全な生活は成り立たない、という種類のものですから、それを「飾り」と言う段階で、とうに信仰ではなくなってしまっているような気がします。
急に年末になって知ったかぶりして、一夜飾りだのなんだの、言い出すことのほうが、ヘンな気がします。ちなみに筆者は「飾り方を教えて下さい」と言われた段階で、もう相手にしません。へそ曲がりなので…単なる飾りならどうでもいいことなので、好きにしてください…

注連縄は完全に神社仏閣、神棚の結界を張るものですから(結界の意味が分からない方は、サイト内を散策していれば、そのうち分かるでしょう)神棚、御宝前のない家には無縁のものです。門松などはいろんな言い伝えがありますが、とりあえずここの話は、「祭祀」です。単純なお飾りは毒にも薬にもなりませんので、晦日に飾ろうが元日に飾ろうが、当人の気分みたいなものでしょう。


一夜飾りがいけない理由
普通はこんなところでしょうか。

1、神ごと、祀りごとは家の中で最も重要かつ肝心なことなので、一夜漬けで急いで付け焼刃でするのは、神様に失礼に当たる。
2、一夜飾りは葬式を連想する。葬式の飾りは一夜だけ飾るので、それと同じになって縁起が悪い。
3、31日(大晦日)に飾ると一夜飾りで、30日も古語で言うと「みそか」にあたり、31日と似たようなものである。29日は「二重苦」を連想するので縁起が悪い。従って、28日に飾るのが一番良い。


筆者にしてみると、なんだか、よく分かったか分からないような理屈です。
1ですが、いちおうの正論です。祭祀ごとで、真っ先に気にするのは、まず整理整頓清潔です。従って、神棚仏壇を掃除する際、真っ先にきれいに掃除するのは良いことですが、本来は、こういう手順になると思います。
本体ではなく入れ物である神棚仏壇をまず掃除し、次に他の日常的な場所の大掃除や全ての雑事が終わり、もう一度、掃除の最中に神棚仏壇に埃が入っていないか念入りに掃除し、しかる後に、落ち着いて神仏をお迎えできるようになり、最終段階で、新しいお札をお祀りするのが一番ふさわしい姿である筈です。お札をいつ受けるかはそれぞれ都合があると思いますので、とりあえず新しいお札を祀る日の話です。
従って、大晦日まで掃除をする余裕もない家で、その状況を考えずに、一夜飾りはダメ、という禁忌だけを覚えて、祟りを受けたくない、という後ろ向きな気持を後生大事に守っても、しょうがない気がするのですが。

コンビニや駅よりも神社の近い筆者は、家の掃除が終わって、「さあ、いよいよ新年を迎えるぞ」という段階で、初めてお札を受けにゆきます。まあ、これだけ神社に近いところに住んでいればこそなのですが、祭祀ということをきちんと考えていれば、人から聞きかじった縁起かつぎだけを気にする必要はないと思うのです。

次に、葬式との連想=葬式が一夜飾りをする理由は、たぶん、葬式が縁起の悪いよくないもので、なるべく葬式の雰囲気を長く保ちたくない、という理由なのでしょう。これは、死を穢れとする神道から出たものなのでしょうが、しかしそうなると、神道形式のお葬式の「人間の死は人間から神様になられたので目出度い」という基本はどうなるのでしょう。
仏教でも、輪廻転生という観点からすると、人間の死はむしろ、悪しきこと、穢れた間違ったことではなく、一種のリセットみたいなものなので、忌むべきことではなく、なるべく悲しみとか執着とかを無くすような考え方をするのが、本来の姿です。
まあ、庶民感情に合わせて、故人を悼んだり弔う形になるのは致し方ないことなのでしょうが、葬式を穢れ、あってはならないこと、悪いこと、という受け止め方は、筆者にはどうしても納得がいきません。
人間の生への執着を考えれば仕方のないことなのかもしれませんが、こと「縁起」に関してはちょっと???です…

三番目の語呂合わせに至っては、まあ、好き好きでしょうね…ちなみに筆者は、くじなどの番号を選ぶ事態になった時には、4とか9とか、なるべく人の嫌う番号を選びます。けっこういいものが当たったりします。くじは、全然語呂合わせと関係ないですからね。

一夜飾りに関しては、自分の行動に自信が持てないので、人の言うことを気にする方は、別に28日祭祀説を守られたほうが安心できるかもしれませんが、俗信に惑わされている段階で、祭祀の目的とは離れてしまっているような気がします。祭祀とは本来、何の為にするのか考えてみたら、そういう態度じたいが愚かなことに思えるのですが…


ちなみに、一夜飾りよりも、もっとずっとおかしな行為は沢山あります。
・お供え、鏡餅を、神棚も仏壇もないのにお供えする=お供えとは本来、神棚、仏壇などの神仏に、お礼の意味でお供えするものの筈です。従って、普段からきちんと神棚仏壇の祭祀をしていない人が、いきなりお餅だけ買っても、いったい何になるのでしょうか?自分自身にお供えするのでしょうか?

・年越しの時にお札を受けて、埃がするから、または人に見られては恥ずかしいからと、タンスの引き出しに仕舞いっぱなしにする。=意外に多いようです。見られて恥ずかしいなんて思われて、その神社の神様があなたを守りますか?恥ずかしいのはあなたのそういう姿勢のほうです。普段からきちんとお祀りしないんだったら、そんなもの受けても何もなりません。

まだまだ、言いたいことは山ほどありますが、ことは祭祀に関することなので、あまりマニュアル的に沢山書きたくありません。要は、祭祀は自分の普段からの信仰に対する姿勢を形に表したものなので、付け焼刃の知識や俗信の類に振り回されるのは、馬鹿馬鹿しいことではないでしょうか。
筆者は100の俗信・禁忌を気にするよりも、1年に一度、真剣に写経に取り組まれることのほうが、よほど立派だと思っています。
その話はまたおいおいと。

tao

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