夏休み考(2006年8月13日の日記)

08 January, 2006

毎年、この時期になると閣僚の靖国参拝問題が物議をかもし、各地では戦没者追悼法要が行われる。
一方、大多数の戦後生まれにとっては、旧盆を理由に比較的おおっぴらに休める、ただの夏休みである。夏休みが取りやすいので、気学という特殊な世界では、この時期を利用して、開運を名目にした、祐気取りという旅行に出かける人も多いようだ。
もちろん、方位があるかないかは個人によって違うが、年じゅう祐気取りに行っている人は、このチャンスを逃がすのは勿体無いとばかり、可能であれば出かける人が多いだろう。

気学と関係のない一般の人達にとっては、日本の伝統的な旧盆の過ごし方には、故郷に帰省して親に元気な顔を見せ、一緒にお墓参りに行って墓石を洗ってお花を備えたり、浴衣姿で盆踊りや精霊流しに参加したりするという風習がある。
しかし、昨今こういう宗教儀式と夏の風物のマッチした伝統的な夏は、かなり少なくなってきたようだ。筆者にしても実家は博多の町の真ん中だったので、笹舟やお盆の提灯を持って川原に行き、ついでに蛍を追っかけた思い出は、はるか昔の小学生の頃、母の実家のある大宰府でのお盆にまで遡る。
もっとも昨今では、海や川に流したお供え物や灯籠が環境汚染をひき起こすというので、放流を禁止して一定の区画に置いて埋めることになっているそうだ。
少し興醒めなことではあるが、精霊舟が大量に海に流れ出して、あちこちの海岸に打ち上げられる図はあまり気持ちの良いものではないので、仕方のないことだろう。

旧盆の時期を夏休みに当てることが多くなったのは、こういう日本人の習慣から出たことで、そういう意識でいる限りは、なかなか良いことだと思う。筆者などはよく、お盆の15日は地獄の焦熱の釜もお休みなので、どんな罪人もホッとできる時期だと聞いて、(大事な日なんだなあ…)と思ったものだ。
従って、現在でも、事実上はこういう伝統的なお盆を過ごさないまでも、斬った張ったの殺気だった稽古をする気になれず、道場も勝手にお休みして、家で何となく御宝前の掃除をしたり、小さなお供え物を新しくしたり、真面目に読経したり、戦争特集を見たりする。
別に義務でもなんでもなく、周囲にそういう環境もないのだが、何となくそういう気分になるのだ。

しかし、子供の頃からあまりこういう意識下の宗教教育を受けていない若い方は、お盆はただの休みに過ぎず、家族で海外旅行、と足を伸ばすタイプの人も多いようだ。事実、成田空港は8月中旬は出入国のピークを迎える。今年はイギリス・アメリカをターゲットとしたテロ予告騒動で、いちだんとセキュリティチェックが厳しく、液体類機内持ち込み厳禁でだいぶ不自由な旅行になっているようだ。

日本人は欧米のように長いバカンスを取る人は少ないので、2〜3泊とか4〜5日でも海外に飛んだり、何とも忙しいことだが、この旧盆の時期は少し考えを改めたほうがいいのではないか?と、筆者は常々思っている。

祐気取りに旧盆の時期をお勧めしない、というのは少し書いているが、その理由はあまりきちんと考えたことのない方が多いのではないだろうか。

一般の方にはあまり触れることのない世界だが、現実世界とは別に、眼に見えない世界というのは確実に存在するし、それを見聞きする人達も、決して珍しくはない。これにはいろんなタイプと原因があって、いわゆる霊感体質というのは、一種の重い荷物でもあるので、あまりそういうものの影響を受けないように、しっかりと自分を鍛えなおす必要があると思う。

それはさておき、「見えない世界」があるとすると、じつは旧盆というのは、かなり特殊な時期である。もともと伝統的に、旧盆として冥界の扉が開く時期であるのに加え、第二次大戦での、大量の戦没者法要が各地で行われる時期でもあるので、普段は眠っている冥界の住人が、一斉に意識を「こちら側」に向けてくる。
1985年8月12日の日航機墜落事故も、なぜこの時期に起こったのか。

日本での終戦記念日は8月15日だが、広島の原爆投下が8月6日、実質的な終戦宣言は8月10日、世界各地の最終的な戦争終結は9月2日であることを見ても、いかに多くの死の影と混乱が、この時期に集中しているか分かるだろう。
それは何十年前の過去のこととばかりは言えない。別の世界では、時間の観念が違うのだから。

8月旧盆前後のこの時期に、各地で死者の法要を行い、戦死者に意識を向けて平和に思いを馳せることは、私たちが先祖の生まれ変わりで、その遺産が連綿と先へと受け継がれるものであり、生者、死者の念の交わる混沌としたこの世界で暮らしている限り、必要なことではないだろうか。

そんな時期に、ことさら自分個人の為に、祐気取りやら海外旅行やらを決行するのは、果たして賢い行動だろうか?と思う。
少し脅しておけば、町を歩いても空港ロビーに行っても、神社仏閣に行っても、この時期は普段の何倍かの死者の霊が…と言って悪ければ、念が蠢いている。
一年の季節の流れで言えば、夏至も過ぎて中天に昇った太陽が傾き、殺気の強い射熱で物みな焼き尽くし、再生の前段階の破壊行動を始める時期である。そんな時に単なる個人の都合や楽しみの為に、開運祈願参拝やバカンス旅行に行くのは、果たしてどんなものだろうか。

筆者が昔から、この時期にあまり動かない大きな理由は、そういうことを意識的に考えていたからではなく、何となく気が荒れているというか、普段とは空気が違うような気がして動くのが嫌だからだ。それに、夏の疲れがちょうど出てきやすい時期でもある。
墓参りなどの目的でもない限り、そんな時に忙しく動き回って疲労するよりも、家でクーラーにあたって西瓜や素麺など夏の味覚でも賞味しながら、ゆっくりと名画鑑賞でもしていたほうがずっと賢い、と思うのだが…

tao

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