独自路線?(2005年11月22日の日記)

11 January, 2005

ネットの状況やたまにテレビなどを見てると、なんだかこのサイトって、やってる方も来る人も、けっこう変わってるんじゃないか、と思う。

講師派遣会社の人も、筆者を起用したのは色の風水などをどこにも書いていないからだと言っていたし、建築会社の情報誌を頼まれた時にも、担当の人は「このサイトだけは、全く他のサイトと毛色が違ったので」と言っていたから、やはりそうなのだろう。

単純に言えば、筆者は占い師ということになるのだが、この仕事ってある程度の知名度は必要かもしれないが、目立とうとしたり、他と競争しようとすると、必ず堕落すると思う。

最近、少し稽古で足を痛めてしまい、鍼灸と整体をしている治療院に行ったのだが、いやー・・・ちょっと考えさせられてしまった。
けっこう腕利きでスポーツ医学にも詳しい先生らしいのだが、あそこまで「自分」を打ち出す必要があるのだろうか、と首を傾げてしまった。

約1時間ほどの治療の間、とにかく自己宣伝がひっきりなしで、これは鍼を打っている間、患者を黙って放っておくのを悪いと思っているのか、サービス精神なのかは知らないが、私はもともと、ペラベラしゃべる男が大嫌いなことも手伝って、ちょっとアレルギーを起こしてしまった。

喋るのも、美容院に行ってずーっと世間話をしてることも珍しくないので、会話が多いのは別にいいのだが、患者さんは普通はもっと自分に甘える、とか、自分にカリスマ性を感じて通って来る人が多い・・・とか言う話を繰り返されては、「カリスマ性ならアタシの方が上かもよ」と心の中で言いたくなってしまったが・・・

カリスマ性なんて他人が勝手に感じてしまうもので、本当にカリスマ性のある人が、一人一人にそんなこと宣伝する必要はないと思うのだが・・・治療はまあまあだったが、余りにうざかったので、もう行かない・・・

もっとも、よく考えるとその予兆はあったんだよね。一見して、若い女性向けの本を出しているカリスマ整体師に似せようとしてるのが一目瞭然だったし、その人の本も置いてあったし、年齢も同じぐらいだと思う。
それに、小さな治療院なのに、大袈裟に公共の乗り物の車内アナウンスの宣伝を入れている時点で、気づくべきだったかもしれない。たまたま、歯医者に行ったついでに、向かい側にあったので入ってしまっただけなのだが・・・。
あの車内アナウンスの宣伝って、何とかならないものだろうか。強制的なお耳汚しというか・・・テレビCMよりもタチが悪いと思うのだが。公共機関以外は、アナウンスの案内は入れないで欲しい。

それに引き換え、横浜のウ…広小路とかいう治療院は良かった。
自己流で空手のキックを練習していて、足の付根のインナーマッスルを痛めてしまった時に行っていたのだが、いろんな点でとても良かった。あまりにすぐに治ってしまったのと、予約して電車に乗って・・・というのがかったるくなってしまい、最近ずっと行ってないが、お詫びにここに書いときます(笑)

治療というのは結果もあるけど、いろんな条件で、通いやすいかどうかというのも大きいので、なかなか思うようにいかないな・・・

しかし、道場関係には治療師が割りに多いのだが、治療する人ってやはり威厳とか信頼性が必要なせいか、ああいう風にカッコつけている人をたまに見かける。筆者も似たような人種なので、ああはなりたくないな・・・と、我と我が身を振り返ることしきり。
まあ、自然に先生らしくなるのは大いに結構で「え?先生はどの人?あの人はバイトの助手だよね」ってな感じでも困るが・・・(笑


「らしさ」とか「断定度・カリスマ度」などに関連して、講座のオフ会で言おうかと思っていたことなのだが、なかなかチャンスがないので少し披露しておく。
鑑定文書で、相手の受ける印象とか影響などを考えるのは、当然、必須である。鑑定文書で「でしょう」「ではないでしょうか」「…と思います」「可能性があります」「です」「必ずこうなります」などの語尾によって、全く印象が異なると思う。
みな、良いことを「です」「必ず・・・なります」と言って欲しくて来ているのを重々承知で、あえて「思います」という返事をすることは多い。また、あえて確実な事柄に対して「可能性がある」と書くこともあるし、逆に、不確実なことに対して「です」と断定することもある。

これは、語尾の断定度の問題ではなく、文脈と全体の雰囲気と行間を総合した目に見えないメッセージなのだが、これはメール鑑定での難しい点でもあり、利点でもあるだろう。

メールで文書を送る鑑定は、対面鑑定とはまったく方法論が違う。対面鑑定では、口頭で喋ってはその場で消えて、受け取る人によってごく一部だけが妙に頭に残ってしまったり、挙句の果ては間違ったり拡大解釈をして覚えていることも多い。しかし、文章は後々まで残るし、最初は分からなかったことが後で分かってくる事も多い。
講座生の中には、前に送った鑑定文書をほぼそらんじて、スラスラ言えるまで読み込んでいる人もある。そこまで行くと、こっちも少し緊張してしまうが、こういう人は決して少ないないようだ・・・

従って、メールでの鑑定は鑑定者にとっては最も大変な鑑定なのだが、なかなかそこまで考えてくれる人は少なく、灰色の返事をすると「結局どっちなんですか?」という質問が来ることもある。

誰でも鑑定者の「たぶん・・・こうではないでしょうか」「こう思うんですけど・・・」なんて返事は要らない、と思っていることぐらい、重々承知の上である。
こういうタイプの人は、いちいちネットで申し込むよりも、直接会って鑑定して貰ったほうが早いという方も多いのだが、それならば最初から対面鑑定をしている人のところへ行って頂いたほうが早いと思う。

特に運命鑑定に関しては、そういう灰色の部分で自分の要求とあわないと、立ち止まってしっかり考え直す人もいるだろうし、不満を持つ人もいるだろう。ここらへんで相性とか縁とか言う要素もあると思う。しかし、無理に自分の力以上の宣伝をしようとは思わないし、先生ぶるのも性に合わないので、そこらへんでうまく付き合える人が残っていくと思う。
断定や洗脳をして欲しかったら、そういうタイプの占い師は幾らでも居るだろうが、結局それを好まない人達がこのサイトに集っているので、サイトも自然とそういう作りにしている。

結局は、断片的な知識を拾いに来て全部を読まない人達は縁がないだろうし、何となく和みに、たびたび足を運んで来られる人達は、雰囲気を感じ取ってくれていることと思うので、このサイトは風水という看板は出しているが、全く占いと関係のないコンテンツも多く、独自路線で行くことになるだろう。

運命を変えるということは、右のものを左に動かすように変わる訳ではない。気持ちが変わることが一番重要だが、実は気持ちを変えるということは簡単なようで簡単ではない。
相を変えれば運命を変えることは可能だが、いつも黒の服ばかり着ている人に、いきなりピンクの服を着ろと言っても、気持ちが変わらないと実行には至らない。なので筆者は、ことさら気学や風水の形を取らなくても、全てが運命学という気持ちでいる。
という訳で、今日は久しぶりにランニングして来ま〜す。

なんだか手の内を見せたようだが、今月は実際に手の内を見せてしまったので、ご愛嬌ということで。。。

tao

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