映画と小説「リプリー」シリーズ

12 October, 2010

もう先月のことになってしまったが、通信講座のオフ会を実施した。今回は今までとは少し違うことをしたので、けっこう準備に手間取ってしまい、予定が狂ってしまった。
おまけに今月は剣道連盟の全日本大会が控えているので、オフ会後に少し稽古を頑張っただけで、風邪でダウン。

もともと、この時期は私はとても風邪をひきやすいので、秋の大会は要注意なのだが、やれやれ、オフ会終わったーという安心感が、風邪を呼び込む原因にもなったのかもしれない。大会前にダウンしては稽古不足で困るのだが、今回は単に選手で出るだけで、役員には加わっていないので、個人的な問題で済む。そういう気楽さもあってダウンしてしまったのかもしれないが、いつもいつも同じペースで頑張るわけにもいかないので、たまにはダウンしちゃって休養を取るのもいいかな、という感じ。
風邪薬を飲むと、とにかくよく眠れて眠れてしょうがないのだが、せっかく休養を取る口実があるのに、寝ているだけではもったいない。映画を見るのは眩しくて目がショボショボするので、自炊してあった小説を読むことにする。前から読んでみたかったパトリシア・ハイスミスのリプリーシリーズを選んだ。
もちろん、自炊済みでKindle DXに転送してあったものだ。文庫本もDXだとゆったりサイズで文字もくっきり、とても読みやすい。ずっと手で支えるには少し重いので、肘の下にクッションをあてがうとちょうど良いあんばいだ。

このリプリーシリーズは、私も知らなかったのだが、「太陽がいっぱい」の原作である。
なぜ今頃、この作品を持ち出したのかというと、「太陽がいっぱい」が「リプリー」としてマット・デイモン主演でリメイクされて、更に「リプリーズ・ゲーム」がジョン・マルコヴィッチで作られたのを近年立て続けに見て、ちょっと不思議な感じがしたので、調べてみたのである。

「太陽がいっぱい」がアラン・ドロン主演だったので、同じ主人公が、マット・デイモン、ジョン・マルコヴィッチという、余りに違うキャラクターで連続して作られているのが、非常に不思議な感じがしたのだ。
更に、「リプリー 暴かれた贋作」はバリー・ペッパー主演…???

バリー・ペッパーって、プライベート・ライアンの兵士とかグリーンマイルの看守役とか、ホワイトクラッシュで主演/製作総指揮した印象が強く、しかもとても似合っていたので、ああいう肉体派ぽい、割と真っ正直なイメージしかなく、それが持ち味だろうと思っていた。
それがアラン・ドロン、マット・デイモン、ジョン・マルコヴィッチ、おまけにデニス・ホッパーという錚々たる、アクの強い役者と肩を並べて、果たして役者不足、ということにならなければいいのだが…と思ったのだが、案の定、見てがっかり。
なんだこれは…?コメディなのかサスペンスなのか、ワケの分からない出来で、せっかくウィレム・デフォーが出ていたのに、デフォーの出演シーンを見て更に大笑い。何なんだ?あのカツラは…。

勝手に推測すると、撮影の途中で、主演のミスキャストの為に収集がつかなくなり、急遽、犯罪サスペンスをドタバタコメディに変更したのか?とでも思うような映画になってしまっている(苦笑)。まあ、ウィレム・デフォーはどんな役柄を演じても、それはそれなりにウィレム・デフォーであるだけで成功なので、デフォーファンとしては、イメージが壊された、という感じがないのが救いなのだが、あのズラにはかなりびっくりしました(笑)。

バリー・ペッパー好きだけど、はっきり言ってリプリーを演じるのは無理だった。他のリプリーシリーズは何度も見たが、この「暴かれた贋作」だけは一度でおしまい。
というところで、話が入れ子になってしまったので、原作と映画化作品を整理。


パトリシア・ハイスミス作品(トム・リプリーシリーズ)
「リプリー」(1955年)
「贋作」 (1970年)
「リプリーをまねた少年」 (1974年)
「アメリカの友人」(1980年)
「死者と踊るリプリー」 (1991年)

映画化作品
「太陽がいっぱい」(1960年)アラン・ドロン主演
「リプリー」(1999年)マット・デイモン主演
「アメリカの友人」(1977年)デニス・ホッパー主演
「リプリーズ・ゲーム」(2002年)ジョン・マルコヴィッチ主演
「リプリー 暴かれた贋作」(2005年) バリー・ペッパー主演


「リプリー」原作の映画が「太陽がいっぱい」と「リプリー」。
「アメリカの友人」原作が「リプリーズ・ゲーム」と「アメリカの友人」である。

映画は「アメリカの友人」だけを見てないので片手落ちな感じなのだが、私はどうも、ヴィム・ヴェンダース監督が苦手。レビューを見ても賛否両論なので、DVDを買うかどうか微妙なところだ。デニス・ホッパーは好きなので、レンタルVHSでも探してみる積りだが、今のところ評価は未知数。

見た映画の中では、私の好みでは「リプリーズ・ゲーム」が一番好きだ。たぶん、リリアーナ・カヴァーニ監督が自分に合うのだろうと思うが、この作品が劇場未公開というのはどうも解せない。ジョン・マルコヴィッチはあんまり好きじゃないし、原作よりもずっとトンがったキャラだと思うが、こんな複雑なキャラクターを余裕シャクシャクで演じきっているのはさすがだ。
脇役も、映画の豪奢でかつ危険なムードによくマッチしていて、テンポもよく、見返しても飽きない。
それにしても、リプリーを演じる役者のタイプがてんでんバラバラで余りに違いすぎるのは、それだけリプリーのキャラクターが複雑だということなのだろう。

小説のほうは、執筆年代にひどく間が空いているが、一応「リプリー」から年代順に通読。これだけの長年月にわたって書かれているのに、まったく雰囲気や筋運びにブレがないのは見事だ。
4〜5日、ゴロゴロしていた間に、全然中だるみもなく、あっけなく読みきってしまった。

この原作を読んでみると、リプリーシリーズが映画人の創作意欲をかきたてるのは、実によく分かる。
通常、犯罪サスペンスというのは、次はどうなるか、ストーリーを追っかけてハラハラドキドキしながら読み進む場合が多いのだが、この作品は、隅から隅までぎっしりと実が詰まっている感じだ。事件が登場人物の日常と密接に絡まりつつ進み、しかもその日常の物質的豊かさ故に、危険な香りが翳となって浮かび上がるので、まるで一緒に音楽や食事を楽しみながら、事件に巻き込まれているような錯覚さえ覚える。
これをどう料理するか、映画ならではの腕の見せ所を随所に秘めた原作なのが、成功の秘訣ではないだろうか。

その代わりと言ってはなんだが、原作のほうは犯罪アクションシーンのスピーディな迫力には、今ひとつ欠けるような気がする。そのへんの雰囲気は、映画「リプリー」よりも映画「リプリーズ・ゲーム」のほうが、メリハリが利いていて、映画ならではのメリットが発揮できたのではないかと思った。

複雑な陰翳を持った犯罪者を主人公にした小説は多いが、このリプリーシリーズは、通常の勧善懲悪のパターンからは大きく外れた、しかも地味に魅力的な、非常に珍しいタイプの作品だと思う。
これから、作者の他の作品を収集にかかるところ。

読書の秋、映画の秋には、上記タイトルを全部テーブルの上に揃えておいて、ワインでも片手にイッキ見、イッキ読みも乙なものです。

tao

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