名前の重み(2005年3月27日の日記)

03 January, 2005

今日は横浜ベイサイドマリーナで、私の行ってるジムがイベントをやるので行って来ました。もちろん、自分のダンスの先生が出るので、それがお目当てだったんですが。(どうも最近、彼の追っかけになっちゃいましたねー)

イベントじたいはエアロビクス、ヒップホップ、タップ、ベリーダンス、ヨガ、カポエイラ、ボディ−ビルのポージングと、クラブスタッフ挙げての盛り沢山でじゅうぶん堪能しましたが、イベントともなるといろんな場所からいろんな人が来ていて、声援もしきり…

しかし、悲しいことに私はどうも声援がうまくできずに、精一杯拍手するだけでした。このあたり、硬い……?

その原因というのは、ダンサーの名前です。
私の先生の名前は、名前の後に「ちゃん」をつけるとすごくぴったりするんですが、呼び捨てにしたり、後に「さん」とか「先生」をつけるとあまり似合わない名前なのです…何か用事があってクラブに電話する時にも「○○先生をお願いします」って、なんとなく言いづらいし…

もっと白眉は……ダンサーとしての呼び名じたいに「ちゃん」がついてるスタッフがいて、これは如何ともし難い…なんと言って呼びかければいいの?

じつはこれには、私もむかし前歴があって、むか〜しからこのサイトを隅から隅まで追っかけてた人は、私が合気道のサイトを立ちあげたことが、記憶にあるかもしれない。
あの時は実は、私のハンドルは「はかまちゃん」だったのです。

すっごくいいハンドルだと…思うのは思うのだけれど…じっさいにこの名前で合気道を教えに現われるとすると、教わってる方は非常に困ると思う。じっさい、この「はかまちゃん」というハンドルも「はかまちゃんにさんをつけると、すごく変な感じなんですが、いったいどうすればいいの? かといって大先輩に対してチャンづけはできないし・・・」というクレームがだいぶ出たのでした…

合気道では柔道着の上に袴をつけるが、合気道の袴にはちょっと重みがあって、初段にならないと袴が穿けないのです。白帯や茶帯の間は柔道着だけです。袴がないと技も優雅に見えないし、足が曲がったままだったりという欠点が丸見えで、これはこれでいいのです。また、あまり早くから袴をはいても、自分の袴を踏んづけて転んだりが続出で、稽古が終わる頃には着崩れで袴はズルズルです。

だから、初段(黒帯)からやっと袴をはけるというのはちょうど良いのですが、これがなかなか難物。私の所属の道場では、学生だと毎日練習して2年で初段、社会人だと週2ペースで真面目にやって6年ぐらいかかります。そこまで行くのは十人のうち果たして何人?1割を切る?という感じになります。

そこで、「はかまちゃん」のハンドルの由来には、けっこう重みと可愛さのマッチした何とも言えない味わいがあると思って、好きなハンドルだったのですが…「先生」とか「さん」づけはちょっと…(笑

たぶん、ダンサーにもこの合気道の「はかまちゃん」と通じる大変さプラス(いやー、オレ、大したことないからこんな通称で呼び捨てにしてくれよ)という照れとかスタイルみたいな部分があるという気もするんですが。

日本では姓名の名前の部分を音読訓読両方で読めますが、どっちかと言うと、有名になると、訓読を音読にする傾向がありますよね。
「徳川慶喜(とくがわよしのぶ)」は「けいき」、「伊能忠敬(いのうただたか)」は「ちゅうけい」、「原敬(はらたかし)」は「はらけい」など。

作家などは本名の訓読そのまま音読でペンネームにする人もいます。「菊池寛(きくちかん)」の本名は「ひろし」、「安部公房(あべこうぼう)」の本名は「きみふさ」、「横光利一(よこみつりいち)」の本名は「としかず」、「伊藤整(いとうせい)」の本名は「ひとし」、「松本清張(まつもとせいちょう)」の本名は「きよはる」など。
どちらかというと、偉くなると硬い感じの呼び方に変わる傾向があるようです。

でも、ダンサーが有名になっても、こんなふうに漢字の訓読を音読にして呼ばれるようなことはないのではないか、と思う今日この頃…
どっちかっていうと欧米文化では有名になると短く軽く呼ばれる(呼ばせる)ことが多いような気がしますが…。
だからどうっちゅうことはないのですが…習ってるほうにとってはやっぱり先生は先生…気易いのはいいんですが、父親を愛称で呼ばせる文化とのギャップを、やっぱり感じちゃいますねー。

tao

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