秋刀魚のはなし

19 September, 2009

今年はわりに涼しくなるのが早いみたいで、意外と楽に乗り切れそうだ。
その代わり、好物のスイカを食べる回数が少なかった気もするが、スーパーの店頭では、早くも秋の味覚が並びはじめた。

秋の味覚の代表に、秋刀魚がある。
今年の秋刀魚もなかなか美味しそうだ。一尾98円という安さなので、何本か買って帰ろう。
でも私は何となく、秋刀魚というと幾つも思い出すことがあり、鮮魚売り場に立って秋刀魚を眺めるたんびに、必ずそれらの思いが脳裏をよぎる。


私の知る限り、一番の秋刀魚好きは合気道のK師匠。
今は所属道場がこのK親分のところから独立してしまったので、昔みたいになかなか直接お目にかかって酒食を共にする機会はなくなったが、古参会員の間では、K先生と言えば必ず秋刀魚。

K先生は下戸で、ビールをコップ半分も飲むと顔が真っ赤になってしまうのだが、稽古を終えると必ず飲み屋に誘われる。
お目当ては一杯飲み屋で焼いてくれる秋刀魚だ。

なので、K先生の誘い言葉は
「さあ、飲みに行くぞー」ではなく
「さあ、秋刀魚食べに行くぞー」

いつも、行きつけのお店では黙っていても秋刀魚を焼いて出してくれるが、初めてのお店に入る時には「秋刀魚ありますか?」と尋ねる。
じゅうじゅう音を立てそうな熱々の秋刀魚が、大根下ろしを添えて出されてくると、K先生はそれをいかにも満足そうに、箸でさばいて綺麗に平らげる。私は魚の食べ方がすごく下手なので、見ていて気持ちが良い。

K先生というのは斯界ではかなりな立場の方なのだが、こんな田舎の道場にたまにでも立ち寄って下さるのは、こんな風にリラックスして、好きなものを食べることが出来るせいなのかもしれない。

というのは、K先生の奥さんは魚が嫌いで、家の中で焼くと臭いが残ってしまうため、家では一切、魚料理をしないのだそうだ。
なんだか、いかにもお尻に敷かれている感じだが、それで家庭円満に保てるのならば、家の中で自分の好みを出さないのも一つの生き方なんだろう。それだけ、外で弟子達と親しむ機会も増えることだし。
斯界のお偉方の連なる豪奢な酒宴では、なかなか秋刀魚をパクつく機会もないだろうし、他の系列道場の人達は、K先生の秋刀魚好きのことは全く知らないらしい。

こないだも、帰りに立ち話していたら、K先生はこんなことを言われた。
「この前ね、女房が実家に行って留守だったから、自炊したんだよ」
「へー、自炊って、何作ったんですか?」
「庭で七論で火を起こして、秋刀魚焼いたんだよ」
「あっ!さ、秋刀魚ですか…なるほど。七輪とは本格的ですね!」
「自分で秋刀魚買って来てね、七輪でジュージュー焼けてるのを、焼けるそばから食べたんだよ、7本。いやー、そりゃあ旨かったねー」

話だけでも舌つづみ打ってそうな感じだけど、7本か…

ちょっと…私ならビールが欲しくなる感じだけど、K先生は秋刀魚で満足なんだろうなあ。



という私は、実はけっこうな年になるまで、秋刀魚が食べられなかった。
というのは、私は福岡生まれの福岡育ち。
九州では秋刀魚は採れないので、若い頃は秋刀魚というものを、見たことも食したこともなかった。
九州と、本州、北海道では採れるものが違う。今でこそずいぶん味が混じって来たとは思うが、やはり食の感覚は違う。九州で江戸前寿司なんて期待しないほうが良い。

私の世代の若い頃だと、まだそんなに交通が発達していないので、福岡で暮らして居て、秋刀魚や納豆を食べるなんて習慣はなかった。
しかし、全国の旨いものの評判とか、「目黒の秋刀魚」の話ぐらいは誰でも知っているので、何となく、美味しいものの一つに秋刀魚が挙がることぐらいは常識として知っている。

私の10代の頃だったと思うが、初めて天神の有名デパートで秋刀魚を仕入れて売り出したというので、福岡の人々はこぞって秋刀魚を買って食してみた。

その結果、食べてみたほとんど全員が
「あんな生臭くてまずいもの、とても食べられたものじゃない」
という結論になってしまった。
好き嫌いの話ではなく、聞く人会う人全員がそう言う。

中高年の方ならたぶん、分かっていただけると思うのだが、この時代はまだ保存方法も交通も発達していない為、北海道や本州から九州まで運んで来た秋刀魚は、非常に鮮度が落ちていた。
初めて秋刀魚を口にした福岡の人にとっては、美味い体験どころか、ほとんどトラウマしか残さなかったのだ。

私は今は関東で生活しているので、秋刀魚も納豆も美味しくいただくが、最初のトラウマを忘れるまでには、相当の抵抗があった。だからいまだに、秋刀魚なんか生臭くてとても食べられない、という人がいても、ちっともヘンだとは思わない。

食品というのは、いったん嫌な思いをして鼻についてしまうと、改めて好きになるのは、そう簡単ではない。
私は、食品の好き嫌いというのは、食品じたいの味の占める比率は思っているよりもずっと少ないと思っている。食事というのは、子供の頃の家族の食卓の雰囲気とか、その食品にまつわる思い出など、育った過程で刷り込まれた味のほうが大きく、食品の実際の味はかなり比率が低いと思っている。

一流シェフの作った超豪華ディナーでも、仲の悪い家族との雰囲気の悪い食卓は砂を噛むような味だし、貧しい中でも、懸命にバイトで稼いだお金で兄弟がご馳走してくれたささやかな食事は、何にも変えがたいご馳走だ。

昔、私がバイトしていたレストランで、こんなことがあった。若いコックさん達と一緒に、賄いの食事を摂っていた時のこと。
目の前には、チーフコックが作ってくれた食事があった。残り物の食材に衣をつけて揚げた天麩羅が、大皿に山盛りになっていた。なかなか美味しそうだ。

席に着いてご飯をよそっていると、一緒に居た若いコックが、何故か俯いて、ポロッと涙をこぼした。どうしたのかと思ったが、何となく黙っていると、彼は問わず語りに教えてくれた。
「ごめんね。俺、実家がすごく貧乏で、きょうだいもいっぱい居てさ、あんまりご飯食べられなかったんだ。それで、葬式とか結婚式の時だけ、天麩羅が出てくるんだ。そんな時しか天麩羅食べられなかったから、天麩羅見ると田舎を思い出しちゃうんだ」

そうそう、田舎の天麩羅って、都会の天麩羅とは全然違って、野菜ばっかりで、分厚くって、衣がすごく硬いんだよね。ご馳走なのか何なのかよく分からないんだけど、私も母の田舎でそういう慣れない天麩羅とかぼた餅のタグイを、無理に食べようにも咽喉につかえて、辟易した思い出があります。
お蔭で、今でもぼた餅嫌いです。。。


秋刀魚の話に戻るが、トドメの一発で、秋刀魚を見るたびに必ず思い出してしまって、胸がつかえそうになる話がある。
小説なのだが、吉村昭の「破船」。

まず現代の若者には想像のつかない世界かもしれないが、この作品の背景は、ある海辺の寒村だ。
この村には産業もなく、貧困にあえぐ村人達の間には身売りも珍しくない。そんな村の主な生計の手段はというと、たまに流れ着く難破船の存在である。難破船が流れつくと、その積荷を我が物にすることで、村は潤う。そのため、村人達は難破船を呼び寄せる為に、さまざまな手段を講じる。

生きる為には手段を選ばない、などという表現が安っぽく感じられるほどの史実の重さは、吉村昭ならではの記録文学の傑作だ。

非常に重い題材ながら一気に読ませる作品だが、この中で特に私の脳裏に焼きついて離れないのは、秋刀魚漁の光景だ。

村では、季節が来ると漁に出るのだが、この秋刀魚漁はというと、なんと手づかみ。筵を海面に受かべると、そこに秋刀魚が寄ってくるので、それをすかさず手づかみで捕まえるのだ。
主人公の少年は、父親代わりに一人でこの秋刀魚漁に出ることになるのだが、来る日も来る日も全く獲れない。手づかみするコツが分からなくて、逃げられてしまうのだ。

少年は何と、2週間も悪戦苦闘した挙句、やっと一匹の秋刀魚を捕まえる。たった一匹。
それを大切に持ち帰り、家族で4等分して食べるシーンが出てくるので、なんだかこの話を思い出しながら秋刀魚を食べると、美味しいのか何なのか、よく分からなくなってしまう。

それでも必ず思い出してしまうのが、本好きの因果なのだが、飽食の時代にこんな作品を読むのも、また一興かもしれない。

tao

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