俺たちに明日はない、それがどうした

03 September, 2009

「俺たちに明日はない」がリメイクされるというので、新旧女優の舌戦など、けっこう刺激的なニュースが流れた。
最近、ハリウッドはリメイクが多い気がするけど、ネタ切れ?

それと、何となく最近、ハリウッド映画の作風みたいなものが変わってきた気もするのだ。ハリウッド映画には前は、水戸黄門パターンじゃないけど、ハリウッド的な映画文法みたいなものがあったような気がするのだが、それが崩れてきた気がするのだ。
映画に関する詳しい情報は、別サイトに譲る積もりなので、このWEB日誌では自分の感じたことをそのまま、好き勝手に書こうと思っている。
映画はものすごく個人の感性とか好みによって評価が分かれるので、映画と題したサイトでは、できるだけ客観的な評価になるように心がける積もり。

そういうつもりでここで書いてしまうと、この「俺たちに明日はない」の面白さとか評価って、昔見た時とは、自分の中で物すごく変わったような気がして仕方がないのだ。


アメリカン・ニューシネマというのは、ある程度は時代背景とか映画造りスタイルなどを抜きにしては語れないと思うのだが、あるシチュエーションの中で、人間をきっちり描いてある限りは、時代が変わっても色褪せないと思う。

逆に考えると、時代背景を抜きにしては、よく分からない部分も多いと思う。ところが、この「俺たちに明日はない」に関しては、時代背景に関係なく、見直してみると初見の時とは印象が極端に変わってしまった。

他にアメリカン・ニューシネマで有名な「真夜中のカーボーイ」「イージー・ライダー」とか「明日に向かって撃て!」「カッコーの巣の上で」「卒業」なんかは、今見直してみても大好きなのだが、この「俺たちに明日はない」に限っては、自分の中で完全に色が褪せてしまった。


フェイ・ダナウェイは一番好きな女優だし、他の出演者も好き。ご贔屓のジーン・ワイルダーの出演場面などは拍手喝采もの。
でも映画としては、青春ものでもなく、犯罪サスペンスでもなく、反体制っぽい突出したテーマがあるわけでもなく、ただの犯罪者を追っかけただけの映画に見えてきてしまった。

たぶんこれは、実在の人物を題材に取り上げたせいかもしれない。この程度の犯罪なんて現代でもザラだと思うが、たまたまこの時代にマスコミで大々的に取り上げられたというだけで、また実際に起こった事件だったというだけで、こんなに特別扱いする理由がないと思う。
実際のボニー&クライドの写真も沢山残っているし、実在信仰が行き過ぎた例なのではないか、と思う。

ラストの射殺シーンなどは素晴らしい迫力だし、細部の演出に至るまでよく出来た映画だとは思う。しかし如何せん、結局は小物の犯罪者を何となくムードで追っかけただけの、「芯」のない映画としか思えなくなってしまった。


私が年取ったのかもしれない。
見ていてもなんだか、悪いことしたらいかんぜよ、そらバチが当たるわねー、このバカチンがぁー、とただそれだけの話だった、としか思えないのだ。
ほんっとに、ただの刹那的な小物の犯罪者を追っかけただけの映画にしか見えないのだ。

頭がボケずにうまいぐあいに年を取ると(自画自賛)、ものごとを単純化するのが上手になる気がする。
ものごとを単純化するというのは、周辺事情を排して本質だけをしっかり捕まえればいいので、若い頃にこだわっていた、細かい感性とかこだわりが馬鹿馬鹿しく思えてきて、それが一皮剥けるということにもつながるような気がする。

悪いことしてバチが当たる話は、部屋が埋まるぐらい読んだり見たりしているのだが、この映画、そこまで行っていない。

私が説教オバサンなのではなく、強烈なホラーとか、単純で尻つぼみのディザスター・ムービーとか大好きで、手当たり次第に見まくっている。
「悪魔のいけにえ」の大ファンだし、シリアスで説教じみたテーマをこれみよがしに取り上げた、優等生的な映画は好きではない。
それでもこの映画の評価は、年を重ねてから見てみると、ほとんど地に堕ちてしまった。

たまたま、時代背景のせいで有名になってしまった映画の評価に、自分の感性が正直について行かなかっただけかも?と思ってしまいました。
そんなわけで、「それがどうした」というのが結論でした(笑)

tao

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