2003年6月6日の日記

06 January, 2003

どうも行事続きで相変わらずバタバタしているが、SARSの影響で、合気道のほうの行事が大幅変更になってしまい、主催側はてんやわんやだった。

ちょうど台湾の医師が関西に滞在後発病とのニュースの直後に台湾勢が来日することになっていたため、当然、来日はキャンセルになってしまった。
まあ関係者は胸を撫で下ろしたのが本音だろうが、大きな行事だったので痛し痒しではある。

しかし、あの日本武道館に台湾や香港から数十人の参加を迎えて、おまけにただその場にいるのではなく、合気道の演武だから、万が一、一人でも感染者がいたひには、後の騒ぎは想像するに余りある。早く完全に収まってほしいものだ。

合気道のほうが一区切りついたら、次は杖道大会の季節というわけで、今年は試合に復帰したので、また稽古稽古。
今年の試合の相棒は道場後輩の消防士だけど、彼が受験生の時からの稽古仲間なので、試合ではけっこう準決勝あたりでぶつかったこともある。
だいたい、勝ち残ると準決勝あたりで同じ道場の人間と当たることになってしまうので「お前にはまだ負けねえよ」というのと「(息子ぐらいの年の若いモンにムキになって勝つこともなかんべえ…)」という気持ちと半々で…それじゃあ試合にならないよねェ。

稽古をしていたら、暑さのせいか、オーバーヒート続出。
一人が使っていた杖を自分で叩き折ってしまったと思うと、別のところでは杖を刀で叩き飛ばされていた。
神道夢想流は白樫の杖と決まっているが、これにはちゃんと理由がある。赤樫は硬いので、折れた時にはバシッと飛んで万が一の事故にもつながりかねない。白樫のほうが柔らかく粘りがあるので折れにくいとされているが、これも使い方によるようだ。
使わないで放っておくと乾燥してやはり折れやすくなる。手の油をしっかりつけないと、棒から得物には昇格しないようだ。

折れることはそうそう頻繁にはないが、一瞬の差で叩き落されることはたびたびある。それにつけて思い出したことがある。
昨日のニュースだが、名古屋のJR駅で若い女性が手に持っていた牛乳パックをホームに落とし、拾おうとしたところをバランスを崩して線路に転落。両足切断の重傷を負ってしまったもの。
何ともいいようのない気の毒な事故だが、武道や格闘技に関わっていなくとも、普段の身のこなし、危機管理というのは大切だな、と感じさせる事件である。

杖を稽古で叩き落とされるのは一向に構わない。
ギリギリまで待って一瞬の見切りで刀をさばく稽古をしているのだから、安全なタイミングでばかり動いていては、何の為の稽古か分からない。
ギリギリまで待って切らせて一瞬の差で捌くためには、何度か斬られたり叩き落されたりしてみないと上達しないものだ。
私なんて、自慢じゃないけど師匠に斬られた切り傷が数箇所にある。もちろん木刀だが、木刀でも練達の士に斬られると、打ち傷ではなく立派な切り傷になる。紫色の線がシャッと体についているのを見て、「さすが〜!」と感心するのが一般人との差か。なんだか武術の稽古人はマゾかと思われそうだが、これは同類でないとなかなか理解していただけないだろう。

そこで、得物を叩き落とされてしまった場合だが、決して相手から目をそらしてはいけない。きちんと残心を示して、相手が安全圏まで下がってから一礼して得物を拾いに行く。
拾う時には、当然、相手を視野に入れたままで、腰を落とし膝をついて、上体をかがめることなく拾いあげる。
うちの道場でもし、相手に背中を向けてつったったまま、腰を曲げて上体だけをかがめて拾おうとしたら、手裏剣か小太刀が飛んで来る(かもしれない…怒声で済めばめっけものか)

上体だけを曲げてモノを拾おうとしたら、とうぜん重心が高いままでお尻が後ろに突き出る。ミニスカートが破廉恥に見えるぐらいで済めばいいが、満員の駅のホームでそこを後ろから人に押されたらどうなるだろう?
というか、当然押されるような体制を自分で取ってしまっていることになる。また、それほど狭く危険な場所に立つことじたいを考え直す必要がある。危機管理とは何も防災用品を準備したり、護身術を習ったりすることばかりではなく、普段の一挙手一投足、言葉のはしばしの中にあるものだ。

先日は神戸の民家の火災で消防士の尊い犠牲が出たが、消防士なんて、人が危ないから逃げるところを逆に飛び込んで行くのが仕事だ。だからこそ、他人にそんな危険を冒させることのないよう、一般の人こそ危機管理には高い意識を持ちたいものだ。

tao

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