2000年6月1日の日記

06 January, 2000

◆今月は行事が多くて忙しかったため、一周年と言いながらサイトの更新もあまり代わり映えしないものとなってしまった。
もっと全体を整理して章立てを直そうと思っているのだが、一度いじりだしたら、果たしてちゃんとリンクするだろうか、と心配で、十分時間が取れる時でないと、怖くていじれない。

何しろ、いまだにほとんど手書きタグでやっているので、細かいとこを見るとHTMLバージョンも滅茶苦茶。マクロメディアのHP製作ソフトでも入れるかな〜と思って見に行ったら、店員に「これ、かなり難しいですから、参考書も一緒に買った方がいいですよ」といわれて二の足を踏む。
iモード版も早くやりたいし、今からアプリケーションの使い方覚えるなんて、考えただけでかったるい。

なんだか、アプリケーションの使い方覚えるというのは、コンピュータの使い方覚えることとは少し違うのではないか、という差別思想があり、無駄な感じがしてしょうがないのだ。家族が全部電機屋のせいか、基本的にブラックボックスが嫌いなのだ。
そのくせ、ビジュアルベーシックの試用版なんか入れて、息子に白い目で見られている。アイツ、C言語でなくちゃ、まともにコンピュータ使っているとは認めないらしい。不親切なヤツ。




◆ゴールデンウィークの佐賀バスジャック事件、この前、合気道の女性会員の井戸端会議で、この話になってしまった。
残されたのも犠牲になったのも女性ばっかりだったので、みんなやはり、自分があの現場にいたらどうするだろうか、と真剣に考えてしまうらしい。私なんか何故か、「あんたがいれば良かったのよね」と皆に言われてしまう。
真実を言いますと、私は昔、精神病患者に出刃包丁で刺され損なったことがあるので、「逃げるものか」とばかりに合気道はじめたものだ。
まあ、武道関係ではいろいろいきさつはあるけど、長くやっていると、技とか強さに対して、自分で認識が変わっていくのが結構面白い。今は「逃げるが一番」とは思ってるけど、武道の稽古人というのは、女性でも変わったところがあって、「弱いもの苛めしてるヤツ見たら、つかまえてブン投げてやりたいよねー」という人が多い。

私は、たとえ技なんか実際には何の役にも立たなくとも、何か「打つ手を持っている」という意識が大切だと思っている。
じっさい、武道の技を実践で使えるようになるのは、10年単位で考える必要があるのではないか。しかし、誤解でもいいから、「イザという時にはこうしよう」と思うことで、落ち着いて考えることが出来、体がすくんでどうにも動けなくなる、という事態は防げる。これが大きいと思っている。

じつは私は、いつもガスを携帯している。この井戸端会議の後、これが本当に発射するかどうか、ふと心配になり、ベランダの窓を細めに開けて、「シュッ」と一吹き。
1秒足らずだったのに、ベランダに顔出してみた途端に(普通、そんなことする人いないよね)、激烈な刺激臭に見舞われ、あまりのことにびっくりして咄嗟に窓を閉める。
だが、一瞬なのに、部屋の中に流れ込んで来た異臭は想像を越えている。窓もドアも全部開け放つや、すぐさま自分はバスルームに逃げ込んで……相変わらずバカなことやってますよね。みなさんも一本いかが?

tao

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