山鳩事件

05 October, 2007

前述の悪漢猫には、その後も見事にやられた。前にも日向ぼっこさせていたインコを取られてしまったのだが、圧巻だったのは、家の台所にあったハト小屋を襲われた時のことだ。

人間には人相があり、いかにも悪漢、という感じの人間がいるが、この猫はほんとに猫相が悪漢だ。顔つきが見るからにふてぶてしくて小ずるい表情を浮かべており、悪賢くて素早いので、近所で飼っている鳥が、片端からやられているらしい。

野良猫か飼い猫か知らないが、眼付きも見るからに鋭く、こんな猫を飼っている人がいたら、たぶん飼い主も、あんまり性格のいい人ではないような気がする。やっぱりペットって飼い主に似るし。

ある時、息子が山鳩を道で拾って来た。何故かうちの家族は、よく道で鳥を拾う。
片羽根が完全に折れており、体も少し食いちぎられて血だらけだったのだが、これも例の悪漢猫にやられているところを、息子が助け出してきたのだそうだ。手当てしてダンボールに入れておいたのだが、怪我も治り元気になってきた。
しかし、羽根が折れてもう飛べなくなっているし、2DKの狭い家の中で放し飼いは、何とも具合が悪い。私が寝そべって本を読んでいる鼻先に、トコトコと鳩の嘴が現れたりする(笑)。
それで息子が、鳩一羽が暮らすのに十分な大きさの木枠を拵え、金網を張り、ちゃんとドアと簡単な錠もつけて、そこで飼うことにした。

この時に、山鳩の魅力に私は完全に取りつかれてしまった。山鳩は本当に歌を歌うのだ。「クー、クー、クルクルクククク…」と、文字で表すと味気ないが、あれほど音楽的な声を、私は前にも後にも聴いたことがない。

2〜3年もそうやって飼っていたのだが、ある日、私が夜になって仕事から帰ると、息子が真っ青な顔で部屋から飛び出して来た。

見ると、台所の床が一面血だらけ。鳩小屋の扉が開けっ放しで、鳩の姿もない。
よく見ると、台所の窓が10センチほど開いており、そこから例の猫が侵入したらしい。台所の窓は鉄格子がはまっているので、つい鍵をかけるのを忘れてしまったのだ。しかも、鳩小屋の錠をちゃんと回して外したらしい。猫も悪賢くなると、ここまでやるか、という感じ。

息子が学校から帰ると、台所が血だらけで私の姿もないので、幾ら仕事に行っている時間とは言いながらも、かなり吃驚しただろうと思う。悲惨な状態になった台所を片付けながら、私は臍を噛んだ。

息子に要らぬストレスを与えたのも良くないことだったが、あの山鳩は本当に惜しかった。米屋の配達の兄さんなどは「あ、これ山鳩ですね。食べられますよ」なんて呑気なことを言ってたが、あの鳩は私達親子が与えたしばしの寿命と引き換えに、あり余るほどの恩返しをしてくれた。

狭い台所の中で、かなり大きなスペースを取ってしまった鳩小屋だったが、お天気の良い日曜の昼下がりなどに、台所から聞こえて来る歌声には、本当にびっくりさせられた。それも、何秒かさえずるなんてものではなく、かなり長い時間、何コーラスか、というぐらい長く、歌を奏で続けるのだ。
そんな時、私の狭く古いアパートの部屋は、どんなコンサート会場にも負けない、不思議な空気で満たされた。

あの素晴らしい歌声は、どの山鳩にも共通のものなのだろうか。
それとも、何かの因縁で家に舞い込んで来て、ショッキングな去り方をしたあの鳩は、何か固有の特別な運命を背負っていたのだろうか。あの歌を聴くと、山鳩って歌うためだけに生まれてきたのではないか、とさえ思えたものだ。
真面目に真剣に、世界的なオペラ歌手の歌を聞くよりも、あの山鳩の歌をもう一度聴きたいと思ってしまう。

本当に残念なことをした。

※その後、動画サイトを含めたいろんなところで、山鳩の鳴き声を探して聴いてみたが、うちにいた山鳩の鳴き方とは、まったく次元の違うものだった。

あの山鳩は、「鳴く」のではなく、本当に歌っていた。
ちゃんとメロディと抑揚をつけて、しかもその持続時間が、鳥の鳴き声というレベルではなかった。その「歌」が聞こえてくると、私は余りの驚きに、いつも身動きできなくなってしまったものだ。
ひょっとしたら、あれは山鳩ではなかったのかもしれない…

あれほどの歌声が聴けたのは、何かの余徳のさせる技かもしれない、と思う反面、もう少し何かできたのではないかと、今更ながら残念でならない。

tao

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