”シャウト”しようよ

02 February, 2015

こちらは音楽に関係する話なのですが、少し気になったことがあるので、常々考えていることを書いてみました。
ほとんどロックミュージックしか聴かないので、そちら方面が好きでない人には余り嬉しくないかもしれませんが、音楽の話だけで終始しているわけではないので、ご一読いただければ幸いです。

ほんの少し、政治とか差別問題なども絡んだ話ですが、当サイトは基本的に、政治的な立場や主張はしない方針なので、あまり大上段に振りかぶった問題提起をする積りはありません。
もともと東洋学、東洋運命学というのが、足場や姿勢の定まったものですから、今更どうこう言う必要もないのですね。しかし、そんな私でも昨今はいろいろと考えることがあります。
この数年、戦後の体制が壊れだして、世界中でものすごくいろんな問題が噴出し、不安定になっているようです。ちょうど昨日は、中東のイスラム国=ISISでの誘拐事件関連がニュースになりましたが、これも自己責任論では終わらない方向に動き出しているような気がします。
ヘイトスピーチとか風評被害なんて言葉もよく耳にしますが、そんな中で、差別問題なんてことがチラと頭の中に残ってしまったのは、先月の全豪オープンテニスの放送の合間に、'92年のQuireboysのライブを見てしまったことに始まります。

何故、ハードロックライブと差別問題が関係あるのか、なんだかとっても能天気な話なのですが、こういう発展のしかたこそが、筆者の得意技(笑)。
このQuireboysの曲の中に、Brother Louieという曲があり、これがとっても気に入ってしまったのです。

余りに気に入ったので、自分のハーモニカ曲のレパートリーに入れようかと、Lyricsとかコード進行とか、カバー演奏なんかを検索していました。ところが、入手した内容を見ると、この曲は白人と黒人の悲恋を歌った、けっこう深刻な曲です。あからさまな表現はありませんが、歌詞の中で恋人たちは、窮地に立たされてしまうのです。

She was black as the night
Louie was whiter than white
Danger, danger when you taste brown sugar
Louie fell in love overnight
Nothing bad, it was good
Louie had the best girl he could
When he took her home
To meet his mama and papa
Louie knew just where he stood……

この曲は元々、イギリスのHOT CHOCOLATEという、白人黒人の混交編成グループが発表し、STORIESのカバーで有名になりました。その後、今回のQuireboysのスパイク君がガツンとぶちかましてくれた曲です。Bon Joviもアルバムにこそ入っていませんが、MTVのスタジオライブでカバーしています。


The Quireboys - Brother Louie - Live at The Town And Country Club (1992)
https://www.youtube.com/watch?v=p0UsMu7k6SM

HOT CHOCOLATE - Brother Louie
https://www.youtube.com/watch?v=wiM6hF1naXE

Stories - Brother Louie
https://www.youtube.com/watch?v=k-5Y5PX2qHQ

BON JOVI brother louie
https://www.youtube.com/watch?v=uWnTpF_wiN8


アルバムを発表している中では、三者三様でどれも甲乙つけ難い出来です。オリジナルのHOT CHOCOLATEはちょっとスタイリスティクスばりのメロウサウンドですし、Storiesのメリハリの利いた歌い方は、この曲をスマッシュヒットで有名にしました。
Quireboysは後から参入ですが、ジャニス・ジョプリンの好きな筆者は、こういう風にシャウトするボーカルに目がなくて、思わず最高評価をつけてしまいます。このボーカルの人はエリック・クラプトンの曲などもカバーしているようですが、ボーカルだけ聞くと、本家よりも上手じゃないか、と思うほどです。

長々と曲の紹介をしましたが、何が気になりだしたのかというと、まずスポーツや芸術に差別はない、政治も無関係だ、などというのは、真っ赤な嘘で、世の中には差別も区別も盛大に存在する、ということが前提になります。

もちろん、男女同権を振りかざすならばオリンピック種目だって男女混交であるべき、というような極論には走りませんが、この世の中、平等なんてそんなものはもともと存在しません。そもそも体力、能力、資産、環境など全部違うので、平等になんかなりようがないというのは、大人ならばほとんどの人が感じているだろうと思います。
それでもせめて、法の下では機会均等を掲げよう、というのは分かるのですが、それだって最初から差がついているので、機会均等なんて名ばかりです。

現実には差別や区別があり、名ばかりの機会均等の制度は時には有効、というのはいいとして、何が気になるかというと、先ほどのBrother Louieの曲に話を戻します。

この曲は全米で'73年ヒットチャートNO1を2週続けた曲ですし、分かりやすい曲なので、もっと多くのミュージシャンがカバーして歌い継がれても良いのではないか、という気がします。
じっさい、'73年当時は多くのバンドがカバーしていたようで、その中でStoriesのカバーが一番有名になった、ということらしいのです。

しかし2015年現在、このテの曲…あくまでもこの曲ではなくてこのテの曲でいいのですが、こういうテーマの曲を歌うミュージシャンが輩出したりヒットチャートに乗るかというと、少し難しいのではないか、という気が…何故かしてくるのです。

もちろん、この曲が出た70年代のほうが、遥かに現実的な人種差別も激しく、現在とは比べ物にならないほど悲惨だったでしょう。
ただ、音楽やその他の表現に関しては、昔のほうがまだ差別への反発というか、勢いがあったような気がするのです。'73年というと、ヒッピー文化とかフォークグループが花盛りの時代ですし、反戦ソングも多く出ていましたし、それなりの背景があったという条件もあります。

こと言論や表現に関しては、なんだか現在のほうが、閉塞的な雰囲気があるような気がしてならないのです。情報が多すぎて、迷走というか、本音と建前を使い分けるようになったというか…違う言い方をすると、世の中が内向きになったというか、そんな主張をするのはメンドくさいとかダサい空気が蔓延してるというか…。

断っておきますが、筆者は差別撤廃論者ではありません。それぞれの居場所があって然るべきと思っていますし、何でも同等とは思っていません。
それにも関わらずこんなことを考えてしまうのは、昨今の状況が、自主規制というか、監視社会というか、何となく気持ち悪さを感じてしまうからです。芸術やスポーツにも、他のことと同じく、国境も差別も、厳然として存在すると思っています。またそれは必要なものだとは思います。
しかし、社会のいろんな局面で行き詰まり感が出てきているのは、如実に感じます。それは違う見方をすれば、目的意識とか方向性の欠如に繋がります。

一番怖いのは、現実に困難が多いことではなく、困難を排除したい、向上したい、という意欲というか、方向性が失われることではないでしょうか。差別がひどいから反抗する、生活が苦しいから一生懸命に働いていい生活をしたいという、一方向への指向性が失われているような雰囲気に、何となくモヤモヤ感が拭えないのです。

そんな中でQuireboysのBrother Louieを聴いて、こんな風にテーマのはっきりした歌を聴くのが久しぶりな気がして、とても気持ちがよかったのでした。やっぱり”シャウト”できる人って魅力的だと思います。シャウト万歳!(笑)というわけで、久しぶりに音楽CDを買ったのでした。

tao

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