「『必修化』は大丈夫か 多発する柔道事故」に思う

10 February, 2012

先日、今年4月からの中学校での柔道必修化に向けての、NHKの特集を見た。
内容は、ダントツで死亡事故の多い柔道を、男女全員に必修化することに対しての、強い不安を取り上げたものだった。

私の世代は義務教育で男子には柔剣道が必須科目なのは当たり前だったし、息子も中学校では柔道が必須だったが、その後どうなっているのかも知らなかったので、実態を知ってかなり驚いた。
そこで、20年以上の武道歴と幾つかの武術で指導者段位を持つ者として、少し考えてみたいと思う。
私は子供の頃は剣道と空手をやっていたし、中年近くなってから合気道を始め、その後中国拳法、古流杖術を学んでいるが、このうち、受身を取る種目であり、古流柔術をルーツとする点で、合気道が柔道と共通点がある。
武道と言うと、日本古来の文化だとか精神修養だとか、妙な憧れっぽい感じで見て、自分は学んでいないのにやたらに子供に学ばせたがる人があるが、それはかなり違うと思う。
私は子供に武道を教えるのは消極的だし、ある程度の年齢でも、自分で望まない限りは必修にするものではないと思っている。むろん嫌々ながらやってみたら、意外にも違う世界が開けた、という可能性があるのは重々承知の上である。

曲がりなりにも柔道は武術である。武術は精神修養とか人格形成の為にあるのではない。技術的な側面だけ見れば、武術とははっきり言って、紛れもない殺人術である。
殺人術であるからこそ、礼儀を守り、正しい過程を踏んだ修養が必要なのであり、その結果、人格も磨かれようというものだ。ある程度平和な時代になって、武術から武道へと昇華され、技も体育的に変化した部分はあるが、根本は変わらない。

精神とか人格的な話は抜きにして、一定期間、稽古してみると分かるが、武道で一番肝心なのは、その種目に必要な体を作り上げることだ。
今回の番組でも、まず浮上したのは稽古時間の絶対量の少なさ。


「必修科目になったといっても年間15時間前後。これだけの時間では受身を身体に覚え込ませるのは難しい」

「もう一つの問題も浮上している。指導者の資質だ。中学校の体育教師の大半が柔道経験がない。学習指導要領の解説には投げ技や乱取りまで記載されているが、二村は『自分も驚いたが、経験のない先生が短時間で投げ技や乱取りまで教えるのは危険。安全指導が不十分というのが現状』と語った。」
(全日本柔道連盟医科学委員会副委員長の二村雄次氏)



武道という専門性の高い、しかも危険なことを教えるのに、全く経験のない体育教師が、ズブの素人に付け焼刃で投げ技や乱取りまでさせるのでは、大きな事故が多発しても全く不思議ではない。
あんまりニュースにならないが、合気道もしばしば事故がある。社会人は自分のペースを守らないと続かないので、そう無茶なことをするケースは少ないが、大学の体育会での事故はたまに耳にする。急に稽古の強度や指導法が変わったりした時に、あれ?という感じで尋ねてみて、何となく事故の実態を知ったものだ。

この番組で私が印象的だったのは、柔道の死亡事故の原因は、頭を直接打つことが原因ではなく“加速損傷”が原因だということだ。
普通、頭を打つのが危険なことは誰でも分かるので、それは注意する筈だが、直接打たなくとも脳が高速で揺さぶられることによって、血管が損傷するのだそうだ。

一番下のURLの二村雄次氏のコメントにもあるが、受身を十分に練習することによって、後ろに倒れた瞬間に後頭部を打たないように、あごをぐっと引くことが出来るようになる。その段階を踏まないうちに投げ技や乱取りをやらせるのでは、事故が起きるのも当たり前、と言っても過言ではない。

私も合気道で初心者の指導経験があるのでよく分かるのだが、受身の練習をすると、かなり体に負担がかかる。
はたから見ていると、足や腰や背中を打ち付けるので痛いだろう、と思う程度だろうが、実際に一番負担が来るのは、アゴからのどにかけての筋肉だ。

初心者が受身の練習をするとだいたい、首と胸が苦しい、気持ちが悪くなった、と言う。体の調子が悪くなったのかと思って、それでやめてしまう人も多い。
実際には、受身の時に重い頭部をぐっと前に引くために、アゴから首胸付近の筋肉に負担がかかり、まるで呼吸困難になったように感じて、胸まで苦しくなる。単なる筋肉痛なのだが、他の運動では経験したことのない筋肉痛なので、体調が悪くなったと思い込んでしまう人も少なくない。
合気道だとこれに加えて一回転するので、三半規管が慣れなくて船酔い状態を引き起こし、これまた体の具合が悪くなったと思ってしまう場合も多い。

元々スポーツや武道が好きで馴染んでいる人は、練習を重ねてきて、自然と体が出来上がっているので、こういう初心者の状態に意外と気がつかない場合が多い。私は指導者には、才能があってもともと上手な人よりも、最初が下手で苦労して上達した人が向いていると思う。
体育教師なんて、体育大学や体育系の学科の出身が多いだろうから、運動するのが当たり前になっていて、体が出来ていない初心者のことがどこまで分かるかは、甚だ疑問がある。とにかく、指導者の力不足である。そこに、学習指導要項を作った人の武道オンチが重なって、トンでもない事態にならなければいいのだが。


武道で一番難しく肝心なのは、武道の種目に応じた「体の一貫性」を作り上げることだと思う。
「体の一貫性」というのは非常に説明しづらいのだが、例えば稽古していない一般の人が投げられるのと、稽古している人が投げられた場合の差はどこにあるのだろうか。
少々乱暴な例えだが、投げられてすっ飛んで行って、板壁にぶち当たるとする。そうすると一般人の場合には、体全体に意識が行き渡っていないので、頭、胴体、手足がそれぞれバラバラに個々の物体として飛んで行き、鈍い音を立ててぶち当たる。結果、ひどいダメージを受ける。
受身を練習して体の出来ている人は、すっ飛んでいくにも、体全体にまとまりがあって意識がいき届いているので、衝撃が体全体に分散する。その結果、板ならパーン!と軽い派手な音がする。これが受身である。
水気の多いものをグチャ、と落とすのと、乾いた布団をパーンと叩くぐらいの差がある。

こういう体のまとまりが出来て来ないと、技の練習は出来ない。実際には簡単な技を稽古しながら体を作っていくことになる。
武道には、長年の歴史で積み重ねた稽古プロセスがあるだろうに、武道の本家本元の日本で、何故こんないい加減なことがまかり通っているのだろうか。

一番早いのは警察から指導者を呼ぶことだが、地域の指導者の助けを借りてもいいと思う。しかし武道オタクの筆者に言わせると、学校柔道にはそれはそれで、また別のプログラムを作ればいいのではないか、と思う。

道路や建物にアスファルトやコンクリートの多くなった現代では、柔道式の畳を叩く受身よりも、合気道式の柔らかく一回転する受身のほうが有利な場合も多い。
合気道は技の型そのものが難しいので、あまり短期の教習にはお勧めできかねるが、どちらにしても15時間程度の練習では稽古したとは到底言えない量なので、受身とか体捌き程度で十分だと思う。
柔道、剣道、相撲から選択しなければならないから、一番備品の簡単な柔道を選ぶ学校が多いということなのだが、何故、防具が無ければ剣道の稽古が出来ないのか?
土俵がなければ相撲の稽古が出来ないなんて、そんな馬鹿な話があるだろうか?

剣道は竹刀の素振りと型の稽古をしてれば15時間なんてアッという間だ。文部科学省のお歴々は、日本古来の文化を守りたい、などと言いながら、剣道に素晴らしい型があることをご存知なかったのだろうか?
相撲なら四股を踏む、という素晴らしい稽古がある。更にサンドバッグでも持ってきて張り手と突っ張りでもやれば、結構良い体験になるのではないだろうか。

相手と組んで技らしい技を習得するのは、15時間ではまず無理だ。15時間というのは、はっきり言ってお試し体験程度だ。それだけしか時間が取れないなら、出来る範囲で有効なことをすれば良い。
剣道には防具、相撲には土俵がないと出来ない、と思うことじたい、形にだけこだわって中身のことが分からないという、文科省も学校側も余りにお粗末ではないだろうか。

ちなみに合気道の審査基準を見ると、稽古量の基準がイメージしやすいかもしれない。
五級 入会後30日以上稽古した者
四級 五級取得後40日以上稽古した者
参級 四級取得後50日以上稽古した者
弐級 参級取得後50日以上稽古した者
壱級 弐級取得後60日以上稽古した者
初段 壱級取得後70日以上稽古した者(年齢15才以上)
(財団法人 合気会 本部道場ぶん)

この後、1段階上がるに従って、受験の為の修行年限が年単位で延びてゆく。入会後30日以上稽古というのは、指導者にもよるが、原則として社会人や学生が週二回程度稽古するという基準で作ってある。
従って、最初の審査を受けるまでに3〜4ヶ月はかかる。私の所属した道場ではもっと審査基準が厳しいので、社会人が初段を取るまでに真面目にやっても5〜6年ぐらいかかるのが普通だ。

熱心な人は毎日稽古して日数を稼いでも構わないのだが、何故か毎日何時間も熱心に稽古しても、こういうものは一定の期間を経過しないと、体にちゃんと入っていかない。体の一貫性が出来てこないと、いちおう技を覚えたように見えても、どこか違うのだ。結局は、付け焼刃はどこかでツケが回ってくる。

武道必修を決めた人々は、武道を評価して取り上げているように見えて、実は武道をナメ過ぎなのではないか、と思えて仕方がない。そんなに有用だと思うのだったら、しっかりした指導者を招いて、習得時間と内容の伴ったものにすべきだ。他のことと違って、出来ない、忘れたでは済まず、危険の伴うことなのだから。体育の先生が授業に必要だから、と片手間に習得できるようなものではない。
時間が取れないなら取れないで、無理がなく有用なプログラムを構築してはどうかと思うのだが。是非、関係各位の再考を促したい。

“必修化”は大丈夫か 多発する柔道事故
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3153&html=2

tao

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