映画「代理人」に思うこと

11 April, 2010

このところ、いろいろと予定が立て込んでいたのだが、やっと少しキリがついたところで、DVD鑑賞。

好きな映画ジャンルの一つに、法廷ものがある。その中で探したのが、今回のタイトル作品「代理人」だ。

ジェシカ・ラング主演というと、キング・コングの印象が強いため、意外に見逃しがちだが、私の見た中では、この人の主演映画には意外に外れがない。「郵便配達は二度ベルを鳴らす」しかり、「ミュージック・ボックス」しかりである。前者は何度かリメイクされている有名作品だが、私はジェシカ・ラングのものが一番好きだ。

後者はDVD化さえされていないのだが、隠れた名作。何故かコスタ=ガヴラス監督の映画は冷や飯食らいの扱いを受けていて、とても残念なのだが、機会があったら「背信の日々」なんかと共に、是非見て欲しい。

タイトル作品に戻るが、この映画を見ながら、また見終わった後で、どう感じるか、かなり人それぞれに、違う感想を抱くだろうと思う。

簡単に紹介すると、ソーシャルワーカーをしている主人公(ジェシカ・ラング)は、ある日、ゴミ箱の中に捨てられていた黒人の赤ん坊を看護したことがきっかけとなり、その子を養子に迎えることを決意する。
子供は、クラックベビーというリスクを抱えながらもスクスクと育つのだが、実の母親が麻薬中毒から立ち直り、子供を取り返そうと、養育権をめぐって法廷で争うことになる。

法廷ものと言っても、法廷のやり取りにはあまり比重がかかっていないので、丁々発止の弁護合戦を期待すると当てがはずれるのだが、なかなか見ごたえのある作品だ。

何よりも面白かったのは、この映画のストーリー進行を見ている過程で、自分が何を考え、どう感じるか、という、自分自身への問いかけがひどく忙しかったことだ。
この映画はたぶん、その人の育ってきた家庭環境や人生経験によって、また見る年齢によって、ずいぶん考え方も感じ方も違うのではないだろうか、という気がする。
私自身も、20年前と今とでは、はたまた晩年になって見直してみた時とでは、かなり感じ方が違うような気がする。

産みの親と育ての親、黒人と白人…日本とアメリカでは社会構造が違いすぎて、これほどはっきりした形を取って問題をつきつけられることはないだろう。だから高見の見物と言えば言えるのだが、私自身、シングルマザーとして生きてきた為、子供を養子に出せ、はたまた養子に欲しい、としつこく求められた経験も手伝って、非常に面白かった。

映画に戻ると、物語の進行に伴い、一瞬は(やっぱり本当の母親の手に戻すに越したことはないよねえ)と思う。しかし、ジェシカ・ラングが余りに子供に没頭しきる育ての母を演じきっていることもあり、更に家庭そのものが、すごく暖かくて居心地よさそうなので、この環境から引き離すのは無理があるだろう、と思ってしまう。
しかしその次のシーンでは、ジェシカ・ラングが少々感情的に過ぎるように見えたりもする。可哀想な子供を救ったというロマンに、少し浸りすぎてるのではないか?と、皮肉なことを考えたくなる瞬間もある。
おまけに、ご亭主を演じるデビッド・ストラザーン、この人もさりげなくうまい。まあ、実際その立場だったら、ああいう感じに確実になるだろうとは思うが。

更に追い討ちをかけるのは、裁判の残酷さ。
もう、裁判に勝つ為にはどんなテでも使う、と言わんばかりに、個人的な秘密まで洗いざらいぶちまけられる。
ここまでやっちゃうと、日本では市民感情にそぐわないと思うのだが、アメリカではこれが当たり前なのだろうか。

でも、落ち着いて客観的に考えると、要は<どうするのが一番子供の為になるのか?>で割り切ればいい筈だ。未来は子供にかかっているのだから。
だとしたら、どっちが裁判に勝つとか親権を取るとか、どうでもいいのではないか、と私は思った。

子供は親の所有物ではなく、社会が育てるべき存在だという考え方の下に、養子制度とか、様々な法的措置が取られているのではないのだろうか?
これらの法が実際にどれだけ有効に稼動しているのかは知らないが、子供を飯の種にしたり、自分の所属下に置く為に親権を争うのではなく、どうすれば子供の為になるか、というのが、判断の基準の筈だ。余りに訴訟社会化が進むと、どんどん手段が目的化してしまいそうだ。

子供の為ならば、どちらかが「私のほうが本当のママよ」なんてどうでもよくて、母親が二人、二倍の愛情を注げばいいのではないだろうか。

この映画の場合、「白人の裕福な家庭で黒人の子供を育てるのが、良いことだと思っていらっしゃるのですね??」とか、かなり痛烈な皮肉もあったが、どう見ても養親の家庭のほうが環境がいい。人種が違うので白人の親だけではコトが足りないのなら、黒人の母親にベビーシッター的に付き合ってもらってもいいし、要するに親権なんてどうでもいいと思う。

まあなかなか、理想論の通りにはいかない、微妙な問題だとは思う。しかし、こういう風に「どうする?どうする?」「難しいなあ…微妙な問題だなあ…」と観客を参加させつつ、映画としては結局、うまく収まったような気がする。

社会背景が違いすぎるせいか、日本未公開の作品だったが、監督、脚本ともギレンホール夫妻。夫人が脚本を手がけただけあって、女性の関心をなかなか惹きつけた映画でした。

tao

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