変りダネ西部劇の佳作・血と怒りの河

17 January, 2010

年末年始の行事の慌しさもやっと一段落ついたので、久々に映画で一息。
私は西部劇が大好きなのだが、西部劇にもいろんなタイプがある。私はどちらかというと「ウィンチェスター銃'73」とか「牛泥棒」みたいな、ちょっと違ったタイプの西部劇が好みかも知れない。
今回のタイトルは、そんな中でもかなり異色の西部劇だ。

西部劇のキャラって、それほど複雑な陰翳に飛んだタイプは少ないような気がする。
上記の「ウィンチェスター銃'73」はジェームズ・スチュアート、「牛泥棒」はヘンリー・フォンダで、西部劇の正統派ヒーローと言っていいだろう。

しかしこの「血と怒りの河」はテレンス・スタンプ主演ということで、いったいどんな西部劇になるのか?もしかして大幅にカン違い全開の西部劇なのではないか?とほとんど期待しないで見た。
邦題だけ見るとごく普通の西部劇っぽいし、原題の「Blue」もさして内容を期待させるようなものではない。ところがこの予想は、良い方に大外れ。
テレンス・スタンプというと、パゾリー二監督の「テオレマ」の印象がジワジワとねちっこく脳裏に染み付いているし、「コレクター」や「悪魔の首飾り」(世にも怪奇な物語中)然り。イメージ的にはまったく西部劇にはそぐわない気もする。

そのお陰というか何というか、この作品は通常の西部劇とは明らかに違う。
私は映画でも小説でも、あんまり先を予想したり犯人探しをする習慣がない。いつも気持ちよく騙されたりハラハラしながら見たり読んだりするので、「先が分かってしまってつまらなかった」ということはほとんどない。しかしそれでも、違和感なく流れに乗れるか乗れないか、というのはある。

先が読めるのがつまらなかったら、水戸黄門シリーズだって探偵ものだって、全部つまらないと思うが、よく出来たパターンにはまれる安定感のようなものも、一つの長所だと思う。
そういうパターンっぽいスタイルを持っているのが、西部劇だったりスポ根ものというジャンルだと思う。

ところが、この映画に限っては、テレンス・スタンプを起用しただけあって、…だいたいここでこうなるよな…という、西部劇的な流れが、ことごとく裏切られる。
実際には、正統派西部劇だってお決まりの流れになってはいないと思うのだが、ガーン!と酒場のドアを蹴っ飛ばして入って来る、というような、いわゆる西部劇っぽいスタイルが、この映画には全く感じられない。

テレンス・スタンプの存在感のせいか、随所が細やかに練り上げられ、彼の表情の変化に連れて物語が動いてゆくような、見事な充実感があるのだ。


簡単にあらすじを紹介しておく。
舞台はテキサス、メキシコとの国境近くの開拓者の村だ。彼らのささやかな祭りの最中、メキシコ人の盗賊の一味が村を襲う。盗賊団の中には、ただ一人、金髪碧眼の青年が混じっていた。
彼は元来、この地方の出身で、幼い頃に両親とメキシコに移住。だが両親を失い、孤児となって彷徨っていたところを盗賊団の首領オルテガに拾われ、実の親子同様に可愛がられて育っていた。
彼の名前アズール(英語でブルー)は仮の名。メキシコでは珍しい青い眼にちなんで、オルテガがつけた名前なのだろう。

彼はつかの間、一味から離れて、とある家のドアを開け、アメリカ農家の平和な暮らしぶりを垣間見る。ささやかなピアノや写真の額、丹念に縫われたパッチワークのカバー…。それは遠い昔に失った思い出だった。
そんな散策の最中、彼はオルテガの実の息子が一人の娘を犯そうとしている場面に出くわし、反射的に射殺してしまう。

兄弟同様に育った仲間への裏切り、二人の父親でもあるオルテガへの愛と恩義。そこに芽生えた確執が、物語を力強く牽引してゆく。


ドラマというのは、物語が先にあって、そこに何とか合いそうな役者を持ってくる場合と、キャラのほうが重要で、キャラが積極的に物語を引っ張ってゆく場合とある。
原作ものなんかは、先に物語が決まってしまっているので、演じるのが難しいわけだが、あまり原作のイメージの強くない作品では、主演俳優のキャラクターによって、大幅にストーリーが変更になったりする。
この作品は、原案と主人公のキャラクターがうまく絡み合って物語を紡いでいく、お手本のような作品だった。

更に、だんだんお話のバックが見えてくると、これはアメリカとメキシコの偏見や確執という根の深い話でもあり、個人がその生い立ちの過程で背負ってしまった業、という底知れない愛憎劇でもあり、何とも奥の深い話なのだ。

躊躇無く人殺しや盗みを働く強盗になりきっている筈なのに、時おり顔を覗かせる繊細さや内省的な表情、また危機に瀕した際に見せる冷徹なまでの決断力と指導性など、テレンス・スタンプがその魅力を惜しみなく発散する。
今まで、テレンス・スタンプをサイコっぽい役柄でしか知らなかった人は、また新しい魅力を発見できるかもしれない。

終盤、急にお話のトーンが変わって来るので付け焼刃に感じる人が居るかもしれない、とは思う。
しかし個人的には、その流れの為にテレンス・スタンプの個性が更に厚みを増してきて、許せてしまった。
急に村人が一致団結するあたりも、あんなに急にまとまる筈がないと思うのが現代人の感覚だろうが、当時の生活感情と危機感を目の当たりにすると、不自然には感じなかった。

ラストシーンは、泣かせるというよりも、テレンス・スタンプ独特の、じんわりと目の裏側に幻のように染み付いてしまうような、後から印象が強まってくる不思議な映像で、自然な俯瞰撮影がそれを物語に溶け込ませている。

共演の3人もよく、ジョアンナ・ペティットも美しいし、カール・マルデンやリカルド・モンタルバンもいい味を醸していた。
個人的には、あの規模の村の中で、若い男女が相手を決めなければならない状況で「ほんとにあの男でいいのか?一生この村に居る積りか?」「悪い人じゃないわ」という父娘の会話とか、盗賊を追い詰めると容赦なく射殺するという、生活感情がしっかりと描かれているのも好ましかった。

残された若い二人があの後どうするのかも、いつになく妙に気になってしまったが、悲劇ではなく開拓農民生活の中のドラマ、という感じに受け取れたのも、何となく好感が持てた。

スカッとするアクションではないし、カルト的という作品でもなく、一部では賛否の分かれるところもあるだろう。この作品が高評価になるかどうかの一つの目安として、「テオレマ」が好きかどうかで判断するのも、一つの方法ではないかと思う。
テオレマ大好きの私にとっては、なかなか見ごたえのある作品だった。

tao

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