お・み・く・じ

29 November, 2009

探し物があって小引き出しを整理していたら、あちこちからおみくじが出てきた。
最新のおみくじは、先月、オフ会の翌日に、池上本門寺に何人かと一緒にお参りに行って、引いたものだ。


運勢:大吉=何事も思うようにならず不安ですが、意思を強くもち仕事に励むことです。これを守れば、幸運に恵まれるでしょう。
言:人は名位の楽しみなるを知って、名無く位なきの楽しみの最も真なるを知らず。
教え:難儀なる事は自分に為し、易き事は人に譲るべきである。
天のみこえ:草も木も萌ゆるをみれば春風に動かぬものはなき世なりけり


うーん、深い…
おみくじって、大吉、小吉、凶だけを気にしてもつまらない。問題なのは内容だ。一番多いのは、大吉なのに内容を読むと、ぜんぜん大吉じゃないケース。これもちょっとそんな感じ。

人間はさもしいから、いったん大吉で安心させておき、気分がよくなったところで、少し高邁な教えも叩き込んでしまおうというわけか。神仏はなかなかニクイことをさっしゃる(笑)。

神社仏閣に行くと、境内の木の枝に夥しい数の紙切れが結びつけてあるのを、よく見かける。全部おみくじだ。あんまり数が多いと、木が枯れてしまうんじゃないか、と心配になるぐらいびっしりと結ばれている。

あれは、いったい何時からあんなことをするようになったのか?
確か凶を引いたら厄を落とすかナンかだっけ…、吉を引いたら引いたで、願いを結ぶ?かなんかの為に結びつけて帰るらしい。


私は絶対にそんなことはしない。
吉だろうが凶だろうが、おみくじはその内容が重要で、必ず心に留めておくべき重要な事柄が書かれているので、大切に持ち帰ることにしている。
だいたい、おみくじってけっこういろんなことが書かれているので、その場で全部読んで覚えてしまうなんて、難しいと思うのだが、なぜみんな、あんな勿体無いことをするのだろう?

私は、余白に引いた年月日と場所を書きとめておくようにしている。これを、アルバムやノートに貼り付けて時系列で整理してみると、おみくじを引いた時に自分が何をしていたか、どんな心理状態だったか?一種の自分史になるので、とても面白い。

後で見返してみても、おみくじの内容の深さ、素晴らしさに舌を巻くことが多く、一般世間常識とは違う、古来からの真の常識に触れるような気がして、とても新鮮な気分になれる。
これほど深遠なことが書かれているのに、その場で一回読んで分かった積りになることは、到底できない。その時に分からなくても、年月が経ってから初めて、ハタ!と膝を打つことって、人生には多いではないか。


自分のサイトにもおみくじを設置しているが、いろんな人を見ていると、おみくじの引きかたの上手な人と下手な人がある。

上手な人は百発百中。ちょうど、その日の運勢の天気予報のような感じのおみくじを引き当てて、自分の戒めや行動規範としている。
一方、下手な人の引きかたはというと、何かにこだわったり囚われたままなことが多いようだ。こういう引きかたをしてしまう場合は、心の中で(凶だったら困るなあ…絶対に吉が出て欲しい)というこだわりがあるのではないか、と思う。

おみくじというのは別の世界との一種の架け橋だが、どのおみくじを持って来るかは、「使い魔」の仕事だ。この使い魔とは映画やドラマに出てくる「式神」みたいなものだが、こういう使い魔には善悪の観念はないので、けっこう恣意的に動く。
だから、執着に囚われた人の思いで動く使い魔は、あんまり正しい行動は出来ない。公明正大、無心、無欲、無我で引くと、使い魔もより高い世界と行き来が出来るので、正しい結果、優れた教えを持ち帰ってきてくれる。

これは、当サイトのようなネットで引けるおみくじでも、神社仏閣のおみくじでも、原理は同じだ。この使い魔の話は一種のファンタジーと思ってもらって差し支えないが、おみくじを引いたことのない人は少数だと思うので、無関係という人は少ないだろう。どうせ引くなら、役に立つものにしたいものだ。

神社仏閣でも「おみくじは樹木などに結びつけず、お持ち帰りいただいて、日々の生活の道標としてください」と表示してあるところもあるようだ。
年末年始、納札や初詣の機会も多いので、おみくじ持ち帰り運動、是非広めたいものだ。

tao

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